「仕事でも私生活でも努力しているのに、何か物足りない」「SNSで他人の充実ぶりを見ると焦ってしまう」。誰にでも、幸せになりたいと願う気持ちはあるものです。ところが、その思いが強すぎるあまり、かえって幸せから遠ざかってしまうことがあります。ウェルビーイング研究の第一人者である前野隆司氏は著書『幸せの人類史 なぜ「幸福」は人類を「不幸」にしたのか』の中で、心理学の研究から見えてきた「幸せになりたいと願っているのに、幸せになれない人」の意外な共通点について語っています。(構成/ダイヤモンド社書籍編集局)

心理学で分かった、いつまでも「幸せになれない人」の共通点Photo: Adobe Stock

頑張っているのに、満たされない人

仕事も私生活も努力しているのに、満たされない。
予定のない休日は、なんだか損をした気分になる。
生活に困らない程度の収入はあるけど、まだ足りない気がする。

こんなことに心当たりはないだろうか。

幸せになりたいと願い、そのために努力する。
一見、とても前向きな姿勢に見える。
しかし前野隆司氏は、幸せを追い求めること自体に、思わぬ落とし穴があると指摘する。

幸福は、目指すべき理想であると同時に、達成できていない自分を責める基準にもなってしまいました。実際、幸せを目指しすぎる人は不幸せという研究もあります。
モースらは、「幸福は非常に重要である」と考える人ほど、実際には幸福感が低くなることを報告しました。幸福を追い求めるあまり、「自分はまだ十分幸せではない」と感じてしまうからです。これは「幸福追求のパラドックス」と呼ばれる現象であり、幸福を目的そのものにすると、かえって幸福から遠ざかる可能性を示唆しています。

――『幸せの人類史 なぜ「幸福」は人類を「不幸」にしたのか』より

「まだ足りない」の正体

いつまでも「幸せになれない人」の共通点。それは、幸せそのものを目的にしてしまうことだ。

幸せを目標に掲げると、そこに届いていない今の自分ばかりが目につくようになる。
どれだけ状況がよくなっても「まだ足りない」と感じ、幸せのハードルは上がり続けてしまう。

では、幸せはどこからやってくるのか。
『夜と霧』で知られるフランクルは、幸福は直接追い求めるものではなく、意味のある生き方の結果として現れるものだと論じた。
前野氏は、東洋の思想にもよく似た考え方があると紹介する。

仏教や老荘思想では、幸福を強く求めること自体が執着を生み、かえって苦しみの原因になると考えられてきました。むしろ、自己への執着を手放し、世界とのつながりを感じながら生きることによって、自然に心の安らぎが生まれるとされています。そこでは、幸福は目標というよりも、より広い生き方の中で自然に現れる状態として理解されています。
――『幸せの人類史 なぜ「幸福」は人類を「不幸」にしたのか』より

幸せは、つかみにいくものではなく、生き方の結果として自然に現れるもの。
目指せば目指すほど遠ざかってしまうのは、そのためだ。

目の前の時間を味わう

幸せになりたいなら、幸せを目指すのを少しやめてみる。
逆説的だが、それが幸せへの近道なのかもしれない。

自分が幸せかどうかを点検する代わりに、目の前の人との時間を味わう。
自分の得にはならない、誰かのための小さなことをしてみる。
予定のない休日を、予定がないまま楽しんでみる。

そんなちょっとしたことの積み重ねの先に、幸せは自然と立ち現れてくるはずだ。