世の中をあっと言わせる偉業を成し遂げた人は、どんなことを考えていたのか。サラリーマンでありながらサンダンス映画祭で日本映画史上初のグランプリを受賞し、『あなたにしか作れないけれど、世界に通用してしまう 脚本の教室』を上梓した長久允氏の思考を辿ります。(構成/ダイヤモンド社書籍編集局)

脚本の教室後悔Photo: Adobe Stock

下手でも、一生懸命になることには価値がある

 若いときは失敗をおそれたり、人と比べたりしてしまいがちです。

 そうするうちに、挑戦すること自体をやめてしまう人も多いのではないでしょうか。

 けれど、人生後半になって振り返ったとき、心に残っているのは、必ずしも成功した経験ばかりではないのかもしれません。

 映画監督/脚本家の長久允(ながひさまこと)さんは、こんなことを語っています。

「書けないぞ、まいったな」というときは、往々にして「上手にやろう。うまく見せよう」としているときではないでしょうか。
 自分の身の丈以上に格好つけると、逆に縮こまって、いつものスキルも出すことはできません。
 これはみんなあまり気づいていないのですが、
「うまいこと」ってそんなにいいことなんでしょうか。
「うまいこと」は「すごいなぁ」とは思うけど、心を震わすとは限らないと私は思っています。


――『あなたにしか作れないけれど、世界に通用してしまう 脚本の教室』p168-169より

 上手にやろうとすると、かえって自分の力が出せなくなる。

 これは、脚本を書く人だけの話ではないと思います。

 仕事でも、趣味でも、何かを始めるとき、私たちはつい「人からどう見られるか」を考えてしまいます。

 けれど、そのことばかり気にしていると、自分が本当にやりたかったことから遠ざかってしまうことがあります。

人の心を動かすのは「うまさ」だけではない

 長久さんは、さらにこう続けます。

 しかしたとえばこれは本当に個人的な話ですが、美しい「バレエ」や「能」よりも、小学生の不安定な合唱のほうが心が動きます。プロによって細かく的確に描かれた風景画より、5歳児の絵画のほうがときめきます。完全にピッチの合った美しい旋律よりも、不協和音やノイズに心臓を鷲掴みにされた経験もあります。

 それは不安定さや危うさからくるものだと思いますが、
(中略)「不安定な出し物」からは、ある種の吊り橋効果と近い現象が起きているのだろうと推測しています。

 さらに、それは「へたでも構わないから、これを発露したい」という衝動の証明ともとらえることができますし、そういうものが私は好きなので。

――『あなたにしか作れないけれど、世界に通用してしまう 脚本の教室』p169-170より

 未熟であっても、そこには上手に見せようとする以前の素直な気持ちがある。

 その気持ちには、技術や結果だけでは測れない価値があります。

 そして長久さんは、こうも語っています。

「不安定な出し物」ならば、気持ちひとつで誰にでも作れる。あえて、自己暗示として短絡的に結論づけていくべきではないかと思うのです。
「芸術は、うまいより、へたなほうが、いい」と。
 だから私たちはぐちゃぐちゃにはちゃめちゃに、脚本を書いちゃっていいのです。


――『あなたにしか作れないけれど、世界に通用してしまう 脚本の教室』p170より

 若いうちに、何かに一生懸命になってみる。

 それは、必ずしも仕事である必要はありません。スポーツでも、音楽でも、絵でも、文章でもいい。

 人に見せられるほど上手でなくても、何かに夢中になれた経験があること。

 その経験は、年齢を重ねてからも自分を支えてくれるのではないでしょうか。

 もちろん、若い頃にそうした経験がなかったとしても、遅すぎることはありません。

 長久さん自身も、著書の中で、「何かを始めるのに遅いということはない」と語っています。

 人生後半で後悔しないために大切なのは、何度成功したかだけではない。

 下手でも構わないから、一度は本気でやってみること。

 そんな経験こそが、自分の人生に残るのかもしれません。