頑張っているはずなのに成果が出ない。そんな悩みを誰もが一度は抱えたことがあると思います。勉強とは違い、社会での「努力」はなぜ報われづらいのでしょうか。本記事では、リクルートやマッキンゼーで活躍し、現在は、国内トップクラスの不動産エージェント企業の創業者として活躍している江口亮介氏の著書『野性の仕事術 泥臭さと合理性を両立するための全知見』より、その秘密を特別に一部抜粋・編集し、お届けします。
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この記事でわかること
・ビジネスパーソンにとっての「努力」の概念が変わっている
・リクルート、マッキンゼー出身の経営者による「判断」の重要性
努力はして当然、判断が大事
「努力は過大評価されがちで、判断は過小評価されがちである」。
フェイスブックにも投資をして莫大なリターンを上げたシリコンバレーの伝説的投資家ナヴァル・ラヴィカントのこの一言は、ここ数年で私が得た言葉で最も力強いものだった。
この言葉の意味を読み解こう。まず、「努力は過大評価されがち」とは、多くの人が実際の価値よりも「努力」を評価しすぎるということだ。特に日本では「頑張った時間」や「残業の長さ」「連勤日数」を自虐的に自慢し、それが称賛されやすい傾向がある。
しかし、努力は成果を生むための手段であって、それ自体に価値があるわけではない。前述のナヴァル・ラヴィカントもこう述べている。
「私はフェイスブックに投資をすると決めてから十数年、それに関してはなにも努力はしていない。しかし10
年前のその判断が、大きな成果を上げた。そのときの判断には十分価値があった」。
投資やフェイスブックというと、大きな話に聞こえるが、イメージしやすい話としてはサッカーがうまくなりたいのに、毎日バットを振っていては、どれだけ汗を流してもゴールへは近づかないのと同じだ。
大切なのは、目的達成のために、限られた資金や時間、労力をどこに投下するか(もしくはしないか)を見極める“判断”の質だ。この「判断」は、本来、努力以上に価値が高いのに、低く評価している人が多いのが実情だ。



