多くの人は投入したコストを天秤にかけ、方向転換できずにいる

 実例を挙げよう。私の会社では1年以上かけて開発していたプロダクトがあった。

 途中から「想定よりも開発工数がかかりすぎる」そして「完成しても想定ほどの効果は期待できない」と薄々感じながらも、投入したコストが惜しくて方向転換できずにいたのだ。

 そこへ、プロダクトリーダーが「ここで撤退し、別の形でつくり直すべきだ」と提案してくれた。その決断は、これまでの開発チームの努力を無駄にするようにも見えるが、結果として残りの時間と資金をより生産的な施策と開発に振り向けられ、全社にとっては遥かに大きなリターンをもたらした。

 彼曰く、「“転職して最初のプロダクトはスムーズに成功させたい!”という思いも強かった」とのことだが、それでも視野を広く持って、事業全体としてよい判断をしてくれた彼は称賛に値する。

 私は彼に「いい判断をありがとう」と伝えた。同時に、それをつくりはじめてしまった私の判断が誤っていたので、無駄な努力をさせてしまったと大きく反省した。放っておけばそのプロダクトはたしかに完成までたどり着いたかもしれない。

 しかし、その費用対効果は散々なものだっただろう。このことからもわかるように、「判断」の価値は、それまでの努力の価値を上回ることがあるのだ。

 これは私たちの日常でも同じだ。残業すれば仕事の完成度が上がると考えてしまう場面は多いが、その残業によって得られるリターンはしっかりと判断しなければ、身体を壊すだけだ。

「努力」をするのはプロフェッショナルとして当然であり、差がつくのは判断だ。日々の業務にも多数の判断の機会は潜んでいる。依頼された業務がちょっとわからないとき、自分で調べてみるのか、先輩に聞いてみるのか、ほかの誰かに聞くのか。このやり方は正しいのか、変えたほうがいいのか。

 あなたが直面しているタスク、プロジェクト、人間関係、生活習慣など、すべては「なにをやり、なにをやらないか」「誰とやるか、誰とやらないか」といった判断の積み重ねで結果が決まる。判断こそ価値が高いと信じ、知恵と神経を研ぎ澄ましていってほしい。