十字軍からエルサレムを奪還した英雄として、教科書にも登場するサラディン。だが、その偉業は彼一人の力で成し遂げられたものではない。イスラム勢力がばらばらだった時代、諸勢力をまとめ、十字軍に対抗する土台を築いた先駆者がいた。いわば、サラディンが豊臣秀吉なら、その人物は「イスラム世界の織田信長」だ。父の代から続く勢力統合を進め、宗教的な大義を掲げ、のちのサラディンにつながる道を切り開いた男。人物とは誰なのか。書籍『地図で学ぶ「深読み」世界史』の著者が、教科書では見落としがちなエルサレム奪還の舞台裏をひもとく。
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十字軍にエルサレムを奪われた、イスラム世界の「致命的な弱点」とは?
十字軍の英雄として知られるサラディン。その名は世界史の教科書にも登場する。しかし、サラディンが突然現れて、ばらばらだったイスラム勢力をまとめ上げたわけではない。彼の前には、いわば「織田信長」のような先駆者がいた。その人物がヌールッディーンである。
第1回十字軍がエルサレムを占領できた背景には、当時のイスラム勢力が分裂していたことがあった。シリア周辺には複数の勢力が並び立ち、場合によっては十字軍を自分たちの政争に利用しようとする者さえいた。イスラム勢力同士が争っている間に、十字軍国家はエルサレムを中心に勢力を固めていったのである。
これでは外敵に対抗できない。そこでイスラム勢力の統合を進めたのが、ザンギーと、その息子ヌールッディーンだった。親子二代でシリアの統一を進め、十字軍に対抗できる体制を作っていったのである。
サラディンより先にイスラム勢力をまとめた「もう一人の英雄」のすごさ
ヌールッディーンは1146年に父ザンギーの勢力を継承し、その後、シリア各地へ勢力を拡大していった。1154年にはダマスクスを支配下に置き、シリアを中心とした強力な勢力を作り上げる。サラディンが登場する以前に、十字軍と本格的に対抗する政治的な基盤を整えた人物だった。
重要なのは、単に領土を広げただけではないことだ。ヌールッディーンは、十字軍に対抗する戦いを「ジハード」という理念と結びつけ、ばらばらだった人々を宗教的な大義の下にまとめようとした。ジハードという概念自体はもちろん以前から存在していたが、それを対十字軍の政治的・宗教的な求心力として強く打ち出したことに、ヌールッディーンの大きな特徴がある。
さらにヌールッディーンは、シリアだけでなくエジプトにも目を向ける。当時のエジプトでは政治的な混乱が続いており、十字軍勢力が介入しつつあった。そこでヌールッディーンは、将軍シールクーフをエジプトへ派遣する。その遠征に同行していた若者の一人が、シールクーフの甥であるサラディンだった。
サラディンはやがてエジプトで頭角を現し、シールクーフの死後にはエジプトの実権を握ることになる。
サラディンはなぜエルサレムを奪還できた?「イスラムの織田信長」が残したもの
その後、1174年にヌールッディーンが亡くなると、サラディンはシリアにも勢力を伸ばし、最終的にはエジプトとシリアを一つの勢力圏にまとめていった。そして1187年、ついにエルサレムを十字軍から奪還する。
こうして見ると、サラディンの成功は、まったく何もないところから始まったわけではないことがわかる。ヌールッディーンの時代に進められたシリアの統合、対十字軍という共通の目標、そしてジハードを掲げた求心力。その土台の上にサラディンの活躍があったのである。
歴史では、完成させた人物の名前ばかりが残りやすい。日本史なら豊臣秀吉が天下統一を完成させた一方、その前には織田信長がいた。同じようにサラディンを見るなら、その前にヌールッディーンを見る必要がある。
英雄は突然現れるわけではない。その前の世代が作った仕組みや思想、政治的な基盤を受け継ぎ、それを完成させることで「英雄」になることも多い。サラディンの華々しい成功の背後には、教科書では目立ちにくいヌールッディーンという先駆者がいたのである。









