「豊臣兄弟!」第42回より (C)NHK今回は秀長が大活躍した九州征伐について取り上げます (C)NHK

歴史はエンターテインメント!かしまし歴史チャンネルへようこそ。『豊臣兄弟!』第42回のタイトルは「北野大茶湯」(きたのおおちゃのゆ)。京都の拠点・聚楽第が完成し(参考記事)、その祝いとして、大名も商人も百姓も参加できる盛大な大茶会が北野で開かれる……という様子が描かれました。実は聚楽第完成の少し前、秀吉・秀長兄弟は大軍を率いて九州の島津氏を攻めていました。秀吉はなぜ薩摩の島津氏と戦うことになったのか。秀吉が目指した九州の新体制とは?今回はドラマでもさらっと触れられていた、当時の九州事情を取り上げます。(かしまし歴史チャンネル/川合章子)

三大勢力がしのぎを削る九州、沖田畷の戦いで勢力図が一変

 豊臣秀吉が天下統一を進めるなかで、大きな山場となったのが、天正15年(1587)の九州征伐です。九州全土の統一を目前にしていた島津氏に対し、秀吉はなぜ大軍を送り込んだのでしょうか。その背景には、天下人として新たな秩序を築こうとする、秀吉の構想がありました。

 本能寺の変が起きた天正10年(1582)ごろ、九州では、豊後の大友氏、肥前の龍造寺氏、薩摩の島津氏という三大勢力がしのぎを削っていました。

薩摩の島津氏という三大勢力がしのぎを削っていた (C)かしまし歴史チャンネル九州では、豊後の大友氏、肥前の龍造寺氏、薩摩の島津氏という三大勢力がしのぎを削っていた (C)かしまし歴史チャンネル


 ところが天正12年(1584)、沖田畷の戦いで島津氏が龍造寺氏を破ると、九州の勢力図は大きく変わりました。勢いに乗った島津氏は北へと勢力を広げ、大友氏を圧迫。追い詰められた大友宗麟は、天下統一を進める秀吉に救援を求めました。

 ここで秀吉が打ち出したのが、「九州惣無事令」(きゅうしゅうそうぶじれい)です。