「豊臣兄弟!」より (C)NHK
歴史はエンターテインメント!かしまし歴史チャンネルへようこそ。『豊臣兄弟!』第41回のタイトルは「家康の野望」。直接対決を避け、和睦の道を探る豊臣秀吉(演:池松壮亮)と徳川家康(演:松下洸平)。秀吉は、妹・あさひ(演:倉沢杏菜)を家康の正妻として送り出し、さらに母親のなか(演:坂井真紀)までも人質として差し出します。ついに上洛した家康を、秀吉に謁見する前日に秀長(演:仲野太賀)が接待するが……という内容でした。このときに家康と秀吉が会ったのは大坂でしたが、実はこの頃、秀吉は京都にも聚楽第という拠点をつくり、それに伴って京都の町を大きく変えようとしていました。秀吉が行った京都の大改造とはどのようなものだったのか。そしてその後の京都の街にどのような影響を及ぼしたのでしょうか?(かしまし歴史チャンネル/川合章子)
豊臣秀吉が京都に築いた壮大な城、聚楽第。しかし、秀吉が京都に残したものは、それだけではありません。大名屋敷の配置、町割りの変更、御所の造営、寺院の移転、そして京都の町を囲む御土居の建設。秀吉は、京都という都市そのものを大きく作り替えようとしていたのです。
なぜ秀吉は、これほど大規模な都市改造を行ったのでしょうか。その背景には、天下人としての権威を示し、新たな政治と経済の中心地を築こうとする狙いがありました。
関白・秀吉が築いた巨大な城、聚楽第
天正11年(1583)、柴田勝家を破った豊臣秀吉は、大坂を本拠地として、大坂城の建設を進める一方、京都にも拠点を設けました。それが、妙顕寺城です。
現在の二条城の東側にあたる場所に築かれたこの城には、天守や堀もあったと考えられていて、秀吉は当初、ここを京都における政治活動の拠点としていました。
ところが、天正13年(1585)7月、秀吉は関白に就任します。朝廷の最高位に立った秀吉は、従来の拠点では、その地位にふさわしい威容を示すには不十分だ、と考えたのでしょう。
そこで天正14年(1586)、建設が始まったのが、聚楽第です。建設地に選ばれたのは、かつて天皇の政務や宮廷儀式の場だった大内裏の跡地でした。
「天皇の住まいを壊して、城を建てたの?」と驚くかもしれませんが、実際には、天皇の住まいを壊したわけではありません。







