浅草から「東武スカイツリーライン」に乗って鐘ヶ淵駅で下りる。目指す会社はそこから歩いて数分の住宅街の一角にある。パートタイマーを含め、従業員二十数人の中小企業だ。

「飲料水のキャップ、ルーズリーフ用の特殊バインダー、衣類用のハンガー、卓上漬物器、それと、あれもうちで作っている製品です」

 昨今は、お墓参りで使う手桶や花立てもプラスチック。プラモデルなどの玩具にもよく使われるため、まさに「ゆりかごから墓場まで」我々の生活に欠かせない素材である。

 案内いただいたのは犬飼功一さん、41歳。プラスチック製品の金型作りから組み立てまで一貫した加工・生産を手がける「関東合成工業」の社長である。

本社エントランスに
謎の「働く像」を発見!

「ところで、プラスチック製品の代表作といいますと何になるのでしょうか?」

「うーん……」

 考え込んでしまうのも無理はない。プラスチックはそもそも代用品として開発された。オリジナルからしてプラスチックという商品はざっと調べたところ、ピンポン球くらいである。

 犬飼さんの祖父が会社を興したのは終戦直後の1946年。戦前から戦後にかけてのこの時期は、世界的に見てもプラスチック産業が急激に伸びていた。

「最初はボタンを作っていました。当時は製品の善し悪し関係なく、作れば作るだけ売れたそうで、夜になっても買いに来るお客さんの行列が絶えなかったと聞いています」

 その頃に使用していた加工のためのプレス機は「初心を忘れぬように」と、本社エントランスに飾ってある。

「そういえばもう1つ、1号機の前に銅像も置かれていましたが、あれはいったい何でしょうか?」

「ああ、『働く像』ですね」

「はたらくぞう?」

「以前はここに第2工場がありまして、その前にずっと飾ってあったんです。なんでも、額に汗して働く喜びを表現しているとかで。子どもの頃は銅像というと二宮金次郎くらいしか見たことなかったものですから、インパクトはありましたね」

「やはり、あれですかね、こう『働くぞーっ!』っていう強い意欲を示そうと作られた?」

「いや、ちょっとその辺は……すみません、調べてみます」

 なにはともあれ、玄関に「創業者の銅像」ではなく「働く像」が置いてある会社は珍しい。