「芸術品をつくる人はともかく、道具をつくる人は減っていくと思うよ」

 浅草にある銅銀銅器店の三代目、星野保さんがいかにも江戸っ子という、べらんめえ口調で言う。店内には卵焼き、天ぷら鍋、しゃぶしゃぶ鍋、行平鍋といった調理用品から、薬缶、急須、それからタンブラーといった生活道具まで様々な銅製品が並ぶ。

 浅草、銅銀の創業は大正12年(他の媒体では7年と書かれていたり、13年ともあるがおそらく12年だろう、とのこと)、初代、銀治郎が開いた。銅壺屋の銀さんが開いたから銅銀という屋号がつけられた。

 かつて銅製品屋は銅壺屋と呼ばれていた。銅壺というのは長火鉢のなかに置いて、お湯を沸かしたり、燗酒をつくる道具である。この界隈でも何軒か銅壺屋があったそうだが、今では銅銀、ただ一軒が残るのみとなった。

金属は決して均一ではない
叩くことで癖のない硬い銅に

鍋界の“ロールス・ロイス”<br />「銅鍋」が日常から影をひそめた理由銅の行平鍋。銅イオンが作用して野菜は色よく茹で上がる。実は銅鍋が優れている理由は調理科学的にまだ未解明の部分も多い分野なのだ。でも使ってみると、やはり味が違います

 今でも銅銀では、銅の板を手で叩いて、銅製品を製作している。内側の錫引きから表面の研磨まで、ここですべてを手がける。

 制作中のおでん鍋を見せてもらった。丸く切った銅板を金槌で叩いていく。当然、1ヵ所を叩けば別のところがひずむ。それを平らにのばして、また叩いていく。「叩くことで金属の癖をとっていく」のだ。さらに、叩くことで銅は硬くなる。

「こういう大きなものを叩いて、平らに伸ばすっていうのは難しいね。金属をいじっていて一番大事なことはひずみをいかにとるか、どこに逃がすかってこと。これが一番、大事なんだ」

 思ったよりもずっと銅は柔らかい。出来上がった製品は硬い鍋なのに、材料は柔らかいというのが、驚きだ。

 また、叩く加減が毎回異なる、ということも教えていただいた。

「いかに安く、早く作るか。なんでもかんでも手作りがいいもんじゃない。機械を入れられるのなら、入れないと嘘だ。といっても何でもかんでも機械がいいって訳じゃねえんだ。手じゃないとできないことはやっぱりある。手でやると、叩いた感じで具合がわかるのもいい」