アフリカ・タンザニアで防虫蚊帳のビジネスを立ち上げ、マラリア予防や現地経済の活性化に貢献した水野達男氏。「アメリカの農家に1週間泊まりたい」「ゴキブリコンテストをやろう」など、破天荒なプランで確実に成果を作ってきた若い頃から芯に置いていたのは「他人の価値観ではなく、自分が面白いと思えること」を大切にする信念だった――。孤高さすら感じさせるユニークネスと、多くの者の共感を呼び揺り動かすビジョン。一見、相矛盾する要素を兼ね備え、圧倒的な価値を生み出す“バリュークリエイター”の実像と戦略思考に迫る新連載、第1回・後編。(企画構成:荒木博行、文:治部れんげ アフリカに蚊帳を届ける〈前編〉はこちら)
「はじめに言葉ではなくビジネスありき。
それが本当のグローバル人」
住友化学の事業部長として、アフリカ・タンザニアで防虫蚊帳を製造・販売、マラリア予防や現地経済の活性化に貢献した水野達男。困難なアフリカでのビジネスを成功に導き、年間3000万張の蚊帳を現地生産し、7000人の雇用を生み出した。
日本企業の技術的な強みを最大限に生かした製品で海外市場に打って出た上、事業を現地化した。まさに今、引く手あまた「グローバル人材」を地で行く水野の人物像とキャリア形成の軌跡を見ていこう。
前編でも触れたように、住友化学に入社するまで、水野は外資系企業のビジネスマンだった。1979年に北海道大学農学部を卒業した後、20年余、米系化学メーカーでキャリアを積んできたのだ。
住友化学に入社間もない米州担当の頃、水野は風変わりな出張届を出したことがある。出張目的は「アメリカの農家に1週間泊まりたい」というもので、現地では特に商談も会議も予定していなかった。水野がかつて属していた会社が、米国大豆市場で当時急成長しており、米国の農家は他社製品からこの会社の製品に、次々に乗り換えていた。