業界誌の記事をきっかけに始まった、小さな酒蔵の「大改革」

 残念ながら、今の杜氏に任せていたのでは、いつまでたっても大吟醸はできない。新米の酒蔵社長だった私にも、「うちの杜氏は吟醸造りがわかっていない」ことだけは、よくわかりました。
 生酒の一件から、「旭酒造は面白い取り組みをする」と思った人が、ある但馬杜氏を紹介してくれたので、翌年から来てもらうことになりました。大変優秀な人で、その後の私たちの酒造りの基礎をつくってくれたと思います。

 その頃、<磯自慢>や<開運><初亀>など、よい吟醸酒が静岡県発で多数ありました。それを下支えしていた、静岡にある工業技術センターの河村傳兵衛先生が、とある業界誌に『静岡県の大吟醸造り』というリポートを発表されていたのです。記事をみた瞬間、背筋に電流が走りました。

 まさに、造りたかったものはこれだ!
 さっそく、その記事を新しい杜氏に渡し「おやっさん(杜氏のこと)、この通りに造ろうよ」と言って、造ってみたのでした。

 その年から、ようやく大吟醸らしきものになりました。
 恥ずかしながら、私はそれはもう鼻高々で、酒造りはテクノロジーやノウハウがあれば、物理的にはいける!などと思い始めていました。
 本当はそうじゃない。実際の苦労はここから始まったのですが…。しかし、この小さな一歩が、現在の<獺祭>開発という「大きな前進」につながっていったのでした。

 そして同じく、この頃から、「酒造りに対する権限は杜氏が持ち、経営陣は口を出さず販売に徹する」のが一般的な日本酒業界で、掟破りともいえる「技術情報などは社長(私)が集めて、杜氏がそれを実行する」という珍しい生産体制を確立し始めたのです。
 当初、杜氏は「受け入れがたいけど、仕方がない」と半ば呆れ顔でしたが、背に腹は代えられません。この小さな酒蔵の歴史をひっくり返すほどの「大改革」が「社員による酒造り」だったのです。こうして、現在の旭酒造の生産体制につながる下地ができていったのでした。