葛藤に向き合えるまで送った自暴自棄の生活
開沼 大山さんの苦しみや葛藤はとても大きかったと思います。ただ、大きい小さいではなく、いろいろな人がそれぞれの葛藤を人生の中で持っているわけですよね。それとどう付き合っていくかが重要で、大山さんにとっては、例えば、その1つが入れ墨だったのかもしれません。
一方では、これまでの憎しみや、荒れていた時代のことを、入れ墨と一緒に押さえながら生きていくと決めた瞬間があり、他方では、それを押さえずに、荒れながら暮らしている時期がある。
この二面性は誰もが持っているものかもしれません。自分はこう生きると決めたんだ、とはならずに、自分の葛藤やモヤモヤしたものと付き合いきれない。かといって、捕まるぐらい悪いことをするわけでもない。中途半端に誰かを攻撃してしまう人はたくさんいますよね。2ちゃんねるで「こんなの死刑だ」とやっているのはなくならないでしょう。
自分の弱い部分、目を背けたい部分から目を背け続けて、荒れていたときはモヤモヤがあったと思いますが、その気持ちをどうやってコントロールできたんですか?そのまま破綻していた可能性もあるのに。
大山 コントロールできないことでさらに荒れていました。それがはけ口になっていたこともあります。
開沼 悪いことするのにも、それなりにコミュニケーション能力が必要ですよね。人間関係から完全に排除された孤独な状態では、「悪いこと」の選択肢も狭くなる。
大山 僕の場合は、金魚の糞みたい周りについとっただけでした。モヤモヤが何かといったら、父親に対する憎しみや恨みだったり、風呂場で殺されたお母さんに対する、かわいそうだなという悲しみです。風船が体の中で膨らんでいって、ギチギチになっとる感じでした。当然、何度も爆発しているんですけど、それでも膨らみ続けて、爆発の衝撃波は永遠に走り続けるような、何て言ったらいいのかわかりませんが。
そういうとき、仕事でも何でも、1つのことに没頭するのは好きですが、一時でも忘れるかといったらそうはいきませんでした。ただ、たとえばケンカをして、殴られたり殴ったりの痛みや、バイクで走り回ったりで、人と違うことをしとる自分に酔っているときだけは、ちょっとだけ自分を切り離せたかもしれません。
でも、そういうことをしたあとは、結局むなしさだけしか残らん。何も利はないですよね、得るものもないですし。で、また爆発して、また忘れたいから繰り返してということをしていました。一通りやり尽くして行き場がなくなってからは自殺未遂もしたので、結局はバランスを取れなかったんでしょうね。よう生きとったなあと思います。
ただ、死ぬのも怖かった。風邪薬を600錠飲んで自殺未遂はしたものの、病院で聞いたら「2000錠は飲まにゃ死ねん」って言われました。「そんなの無理だ」と思う時点で、死ぬ気がないんだ、死ぬのが怖いんだなって自分でも思いました。バランスは取れてなかったけど、運よく生きとっただけです。
開沼 その後はバランスを取れたわけですよね。
大山 そうですね、面会後からはバランスが取れるようになってきましたね。
被害者遺族が望まない加害者の死刑がある。実名でそう訴える大山氏のもとには、嫌がらせが絶えない。インターネットでの誹謗中傷、あるときは、犬の死骸がドアノブにくくられていた。さまざまな葛藤と向き合いながら、それでも発信を続けたい思いが語られる。大山氏との対談最終回の更新は、2月3日(月)を予定。
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