売春島や歌舞伎町といった「見て見ぬふり」をされる現実に踏み込む、社会学者・開沼博。そして、母親を殺害した父親に死刑判決が下されるという衝撃的な体験をもとに、現在は、被害者遺族が望まない加害者の死刑があることを訴える大山寛人。『漂白される社会』(ダイヤモンド社)の出版を記念して、ニュースからはこぼれ落ちる、「漂白」される社会の現状を明らかにする異色対談。
被害者遺族であると同時に、加害者の息子という立場にもある大山氏。第2回では、数えきれない差別を受けるなかで彼に芽生えたある決意、そして、なぜ憎んでいた父親の死刑を望まなくなったのか、その心境の変化にも迫る。大山氏との対談は全4回。
「人殺しの息子は雇えない」と失職
開沼 それまで会わないできたお父さんとはじめて面会したのは、高校を辞めて働き始めたあとのことですね。どのタイミングですか?
1988年、広島県生まれ。小学6年生のときに母を亡くし、その2年後、父が自身の養父と妻(著者の母)を殺害していたことを知る。その事実を受け入れることができず、非行に走り、自殺未遂を繰り返す。2005年、父の死刑判決をきっかけに3年半ぶりの面会を果たし、少しずつ親子の絆を取り戻していく。2011年6月7日、最高裁にて父の死刑判決が確定。現在は自らの生い立ちや経験、死刑についての考え方を伝えるべく、活動を続けている。
著書に、『僕の父は母を殺した』(朝日新聞出版)がある。
大山 父親の逮捕から3年半後です。逮捕されたのが中学2年生の終わりだから、16歳の終わりか、17歳くらいだったと思います。
開沼 今はおいくつですか?
大山 今年の2月で26歳になります。
開沼 もう仕事を始めてから10年が経つわけですね。その間は、無職になったこともほとんどなかった?
大山 何らかの仕事に就いてはいます。ただ、一時期スランプというか、ひどい状況にはなりました。ちょうど著書を出す前の話です。講演活動をきっかけに取材をしてもらえるようになり、仕事場の人がその記事を見たそうです。すると、「人殺しの息子は雇えないから」とクビになるということが半年くらい続いて、その間はろくに仕事にも就けず、生活にも苦しんだ状態でした。
開沼 かつて、オウム真理教事件のときにも、犯人やオウム真理教信者の家族が就学を拒否されたことがありました。きれいごとを言えば、「犯罪者の子どもも犯罪者だと言うのはおかしい」とは多くの人が合意可能でしょう。ただ、現実にはそうでもないということですね。
大山 現実はそんなに甘くないですね。最近は、そういう問題も伝えるようにしています。加害者家族に対する差別の実態に目を背けず知ってほしいので。