売春島や歌舞伎町といった「見て見ぬふり」をされる現実に踏み込む、社会学者・開沼博。そして、母親を殺害した父親に死刑判決が下されるという衝撃的な体験をもとに、現在は、被害者遺族が望まない加害者の死刑があることを訴える大山寛人。『漂白される社会』(ダイヤモンド社)の出版を記念して、ニュースからはこぼれ落ちる、「漂白」される社会の現状を明らかにする異色対談。
第1回では、父親に母親を殺されるという衝撃的な経験をした大山氏が、非行を繰り返し、職を転々としながらも、現在に至るまでの経緯に迫る。大山氏との対談は全4回。
僕の父は母を殺した
開沼 お忙しいなか、今日はありがとうございます。大山さんのことを取り上げた、日本テレビやNHK・ETVのドキュメンタリーを拝見しました。『僕の父は母を殺した』(朝日新聞出版社)もとても読みやすかったです。
大山 ありがとうございます。経験したことそのまま書いたらそうなったという感じです。
開沼 不自然にならないようにしながら、感情移入できるように書くことは簡単な作業ではなかったのではないでしょうか。
1988年、広島県生まれ。小学6年生のときに母を亡くし、その2年後、父が自身の養父と妻(著者の母)を殺害していたことを知る。その事実を受け入れることができず、非行に走り、自殺未遂を繰り返す。2005年、父の死刑判決をきっかけに3年半ぶりの面会を果たし、少しずつ親子の絆を取り戻していく。2011年6月7日、最高裁にて父の死刑判決が確定。現在は自らの生い立ちや経験、死刑についての考え方を伝えるべく、活動を続けている。
著書に、『僕の父は母を殺した』(朝日新聞出版)がある。
大山 そこを評価していただけるのは、僕もうれしく思います。
開沼 何度も聞かれていると思いますが、まずは、これがどういう本なのかをご自身の言葉で簡単に説明してもらえますか。
大山 この本では、父親の死刑をなぜ望まなくなったのかという心境の変化を伝えるにあたって、自分の生い立ちや父親が語る事件の“真相”を書いていますが、保険金目的の殺人だったのかどうか、といった事件の真実を明らかにすることが目的ではありません。
裁判員裁判制度が始まってから4年くらいが経ちました。でも、いつ誰が人を裁くかわからない状態で、死刑問題と真剣に向き合ってしっかりと考えてくれているのかなと思ったときに、たぶんそんなに考えてないと思うんですね。向き合う機会も少ないと思います。そうした問題と向き合ってもらえるきっかけになればと思い、この本を書きました。
開沼 実のお父さんがお母さんを殺し、さらに、お父さんは養父も殺害していた。それで、死刑判決が出ています。死刑が確定したのが2011年。そのときには、ご自身が作ったホームページで盛んに情報発信を続けていたわけですが、これは、裁判員裁判制度が始まるときに、死刑について考えてほしいということですね。
大山 はい。10代のときも、インタビューを受けて主張してきたことはあったんですね。でも、そのときは周囲の目を気にしていました。殺人犯の息子という差別を受けていたので、それが激化する、もっとひどいことになるんじゃないかという恐怖心があって、モザイクをかけたり、仮名を使ったりしていましたね。
開沼 そのときも裁判員裁判や死刑の具体的な問題について主張していたわけですか?
大山 そのときは、そこまでは踏み込んだ話はしていませんでした。「被害者遺族が望まない加害者の死刑というものが存在する」という訴えです。死刑制度自体、被害者遺族の処罰感情がかなり大きいと思っていましたけど、被害者の遺族が望まない加害者の死刑が存在するという訴えには反響を感じられなかったというか、あまり伝わってないんじゃないかなという不安のほうが大きくなってきて。
人に物事を伝えるときは、目を見て話すのが一番です。メディアに出るのであれば、最低限、顔も名前も公にする。それができない以上、伝わるものも伝わらないと思い始めていたときでもあります。ちょうどそのとき、早稲田大学の講演のお話が入ってきて、それをきっかけに名前も顔も出すようになりました。