J-PARKに代表されるような、新しい原子力の利用を進めようということを訴えていました。原発と違って、直接J-PARKは村にカネをもたらさないんだけど、社会的な価値、文化的な価値、これはものすごく高い。これを村の宝にしようと。

 それを形にした構想が「TOKAI原子力サイエンスタウン構想」なんです。経済的な価値をすぐに求めるのではなくて、社会的な価値を大事にする。日本、アジア、世界で最先端の原子力の研究機関にしようということです。

――村上さんはJCO臨界事故をご経験されています。日本で初めての周辺住民の避難指示を出す事態になりました。あのような事故を経験してもなお、原子力関連施設を村の発展に利用しようと考えたのはなぜなのでしょうか。原子力関連の施設の誘致をいっさい止めるという判断もあったのではないでしょうか。

 それはしなかった。なぜかというと、原子力は東海村の文化でもあるんだよ。産業的な意味もあるしね。東海村の歴史のなかで、50年間、文化としてビルトインされている。原子力というのは、東海村にとってそういう存在なんだよ。

――文化というのはどういうことでしょうか。

「人」だよ。東海村は研究所を受け入れたという認識。まあ、それが実際はちょっと違って、村民が考えていたもの以外のものもワンセットで入ってきちゃったわけなんだけどな。当時の国は、研究所を作って、早く国内に第1号の原子力発電所を作りたがっていたからね。

 でもね、村民はだれも異議を唱えなかった。なぜかというと、それが東海村の発展につながるだろうと、みんなが思っていたんだ。実際に、日本各地からたくさんの新しい人が移住してきた。その人たちは東海村の人たちと融合していった。他の地域から来た人は、さまざまな文化を持ってきて、東海村の村民意識の向上に貢献してくれた。人の往来が生まれたことで、閉鎖的で排他的だった村が、だんだんと開放的な村に変わっていった。

 だから、「人」だって言っているんだよ。カネよりも人なんだ。

科学的な精神を持っていない
想定できたのに対処はしなかった

――JCO臨界事故での対応を思い返してみて、福島第一原発の事故対応について、どのように見ていましたか。

 変わらないなあ。全然、変わっていない。結局、準備が何もできていなかったよ。まったく想定していない。想定外だったんだよ、あの地震も津波も。1000年に1度の地震だ、とか言っているでしょう。都合がいいんだよ、1000年に1度っていう言葉は。