アンリ・ファィヨール
 アンリ・ファィヨールは死後四半世紀近くにわたり、生まれ故郷フランス以外では比較的無名の存在だった。しかし彼の死後1950年代になって、フランス語で書かれた未完成作品を、コンスタンス・ストーズが英訳した『産業ならびに一般の管理』が出版され、彼の管理経営の研究に対する評価が高まった。(General and Industrial Management)

 現在ではファィヨールは管理経営学派の創始者とされることが多い。

人生と業績

 ファィヨールはキャリアのすべてを、鉱山経営と冶金を事業とするフランスのコマントリ・フールシャンボー鉱業会社という一社で過ごした。鉱山技師としてスタートしたファィヨールは、1872年には鉱山部門の役員に任命され、1888年には社長となり1918年に退任するまでそのポストについた。その後、終生名誉職を与えられた。

 ファィヨールが働き始めたとき、会社の財政状態は良くなかった。しかし彼が退任するまでには経営は完全に建て直され、会社は繁栄していた。ファィヨールが成功したのは、「職務の原則」を開発し、それを推進したためだと言われる。この原理には以下の項目が含まれていた。

・年間計画と10年ごとの計画を立て、それに基づいて行動する。
・社内秩序を明確化し推進するために組織図を作成する。
・適材適所を実現するために採用と教育訓練を入念に行なう。
・命令系統の原則を忠実に守る。
・調整を確実に行なうため、各部門長との定例ミーティングを実施する。

思想のポイント

 ファィヨールはその著書『産業ならびに一般の管理―計画、組織化、命令、統制』で、正式なマネジメント教育の基礎として使用できるようなマネジメント理論を構築しようとした。まず彼は、すべての組織的行動を6つの機能に分けた。