イゴール・アンゾフ<br />企業戦略の父 イゴール・アンゾフは戦略経営論の創始者であり、戦略的計画立案それ自体がマネジメント活動の1つとして成立するのに貢献した。1965年に発行された彼の画期的著書『企業戦略論』(Corporate Strategy、邦訳は1985年)は戦略論に完全に的を絞った最初の本で、そこに示された概念は複雑ではあるが、マネジメント文献の古典の1つとして現在でも親しまれている。

人生と業績

 イゴール・アンゾフは1918年にロシアで生まれ、1936年に家族とともにアメリカに移住した。彼の初期の専門は数学で、ロードアイランドのブラウン大学で応用数学の博士号を取得した。1950年にランド研究所に入所し、その後ロッキードエアクラフト社に移るが、そこで彼は企画担当副社長、副社長兼産業技術部長にまで登りつめた。

 1963年にアンゾフはピッツバーグのカーネギー工科大学の産業経営学教授に任命された。彼はその後もアメリカやヨーロッパの大学から数々のポジションを提供される。現在でもコンサルタントとして活躍しているが、2000年には学界から退いた。この引退を機に、USインターナショナル大学から名誉教授の称号を与えられた。

思想のポイント

 『企業戦略論』(Corporate Strategy)が発表されるまでは、企業は将来についての計画立案の仕方や意思決定の方法についての指針はほとんど持ち合わせていなかった。

 それまでの企画立案は予算制度の延長線上のもので、年間予算をベースに2~3年後の将来を予測していた。その本質上、このシステムでは戦略的問題にはほとんど関心が払われていなかった。しかし、大競争時代の到来やM&A(合併吸収)や多角化への関心の高まり、さらにはビジネス環境の混乱の激化に伴い、戦略的問題はもはや無視できなくなっていた。アンゾフは、戦略立案においては、組織が将来直面する事業環境的課題を系統だてて予測し、これらの課題に対応するための適切な戦略的計画を立案することが肝要であると感じていた。

 彼はこれらの問題を『企業戦略論』の中で探究し、理論、テクニック、モデルを駆使して戦略設定および戦略的意思決定の系統的手法を確立した。

●戦略決定
 アンゾフは組織における意思決定を、それぞれ戦略、方針、個別計画、標準業務手順に関連した4つの標準類型に分類した。彼の主張では、あとの3つが繰り返し発生する問題を解決するためのものであり、一度設定されると毎回ゼロから決定する必要はない。つまり、決定プロセスを他人に任せることが容易だ。ところが、戦略決定は常に新しい状況に対してなされ、それゆえに毎回更新しなければならないため、これら3つとは異なる。

 アンゾフは意思決定の新しい分類を展開したが、部分的にはアルフレッド・チャンドラーの研究である『組織は戦略に従う』(Strategy and Structure)をベースとしている。これは、意思決定を、戦略的(製品と市場を重点的に取り扱う)、管理的(組織編制および資源分配)、運用的(予算編成および直接管理)のいずれかに分類するものだ。