――その時、御社のトップの方から何か指示がありましたか?

 当日は、東京本社で役員会があったため、社長以下、全役員が東京にいました。ですので、ハワイアンズの施設の中には役員は誰もいませんでした。社長も役員会が終わって、地下鉄で移動しているときに地震に遭い、しばらくそこで閉じ込められてしまって。やっと抜け出して、私たちと連絡をとったのですが、そこでのメッセージもたった一言でした。

 「お客様の安全を守れ。従業員の安全を守れ。あとはおまえたちに任せる」この一言だったんです。

 要は、現場で起きていることは現場が一番わかるだろうと。現場のスタッフを信じ、任せると。そのメッセージを受け、現場は協力して対応にあたりました。

 3月12日になっても情報が全然入ってこないので、安全確認ができず、動きが取れませんでした。仮にハワイアンズの建物が崩壊した場合、たくさんいらっしゃるお客様をどこか収容できる場所がないか、とも考えました。公民館や学校が近くにありますから、受け入れ状況はどうなのかを確認しながらでした。バスの中で避難することなど、いろんな手を考えました。

 待っているだけでも情報は一向に入ってこない。ですから自分たちで東京までクルマでを走らせるしかありませんでした。行けるかどうかを確認するためです。

 2つのルートを設定しまして、1つは茨城県の水戸から東京まで行く国道六号線のルート。海岸線を通りますので、ここは通れなかったんですね。

 もう1つは、郡山から、栃木県の宇都宮を抜けて東京に行く、国道4号線というルート。ここは行けたんです。12日の昼にスタートし、「大丈夫です」という連絡を受けたのは夜中0時。12時間かけ、スタッフが実際走って確認したのです。そこで3月13日に行動を起こそうと腹を決めました。