被災地の住人が口にする「復興」への違和感

 「前提編」で問い直したのは、福島やその他の被災地を考える際に、そこにある現実を「見て見ぬふり」してはいないか、思考停止に陥ってはいないかということだった。震災から2年を迎えようとする今、以前よりもさらに複雑でわかりにくくなっている被災地の状況を、これまで無意識のうちにとってきた見方とは違った視点で捉える必要がある。

 そのうえで、被災地に転がる課題を解決し、少しずつ前に進むためにはどうすればよいのか。そもそも、「前に進む」として、その「前に進む」がどこに向かうのか混乱しているようにも見える。では、「何が被災地にとっての前進なのか」ついて本日の「前進編」では見ていこう。

 ここ1ヵ月は、やはり「震災から2年」関連の仕事が多かった。取材をし、こんな風に文章を書いたり人前で話したり、新聞や雑誌に取材をされる側になることもあった。

 震災の影響が、被災地に、あるいは日本全体にどう影響しているのか、これからどうすればいいのかと聞かれることも多いが、状況は一言で言えるような単純なものではない。その複雑化は、時間が経てば経つほど進んでいる。

 例えば、ここ1週間の私の予定表を見返せば、ウクライナ・チェルノブイリ周辺の立ち入り禁止区域を管轄する官僚と会った翌日、福島市にあるスナックの中国人ママから、震災後に中国へと行き再度日本に戻った話を聞き、そのさらに翌日は、地元局アナウンサーとスパリゾートハワイアンズのダンサーにこの2年間をインタビューするというような、傍から見たら何をしているのかよくわからない日々があった。

地元商工会などによる「かしま福幸商店街」には食堂や写真館などがある
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「福島を見る・語る」というのは、もはや「被災者の苦しみ」を無理に拾い集めるようなことではない。時間の経過とともに、震災の課題は単純な「震災だけの課題」ではなくなり、震災を起点に考えるべきものというよりむしろ、想定すべき未来を起点に考えるべきものになってきているようにも思える。

 とりわけ、ここ1ヵ月の間に被災地で働く様々な実務家と交わした会話では、みな「震災から2年」を多かれ少なかれ意識しながら、今の状況を言葉にまとめようとしているようで大変勉強になることが多かった。

 例えば、まったく異なる立場の人々の口から、同じように発せられたのは「復興」という言葉への違和感だった。

 震災以降、「復興予算」「復興事業」「復旧から復興へ」などと、様々な文脈で使用される「復興」(という言葉)が被災地を乱れ飛んだ。しかし、はじめこそ、「復興」は希望や前進を示す言葉であったが、いつしか、復興は被災地・被災者の手を離れて、どこか遠くで響く言葉のように聞こえてしまうようになった。

 それは一面では悪いことではないのかもしれない。震災後の非日常が、震災前にあった日常に近づいていくことを示すのだから。しかし、被災地で生活を続けながら、「復興」という言葉に違和感を持つ者に見えているのは、必ずしもそのようなポジティブな側面ばかりではないらしい。

 実際に、福島県内で今も避難を続ける者に話を聞けば、いつも同じようなことを耳にする。「何にも進んでいないのに、雰囲気だけ震災前みたいになってしまって」「テレビじゃもう細かいことやらない。新聞を見ても被曝だ補償だばっかり」。

「復興」について語ることが「『被曝や補償』でなかったらなんなのか」と思う人もいるだろう。たしかに、「被曝や補償」は「復興」にとって大きな問題だし、いくら情報があっても足りないものであることは間違いない。

 しかし、誤解を恐れずに言うならば、それによって解決される課題は、「復興」全体のごく一部でしかない。つまり、「その話がされているばかりでは解決しない問題が山ほどある」にもかかわらず、それが外にはなかなか伝わらない。

 被災地の外で今も頻繁に使われる「復興」という言葉に対して、実際に復興に関わるものから提示される違和感をあえて言葉にするならば、そう言えるのかもしれない。