ウクライナ動乱で幕開け
東西冷戦とは違う『新冷戦』
至近の国際情勢を俯瞰すると、政治・社会システムの相違によるイデオロギー対決色が強かった東西冷戦とはやや質を異にして、エネルギー・原子力問題を主な背景とする『新冷戦』の始まりが垣間見えているように思えてならない。
ウクライナ動乱――、5月25日のウクライナ大統領選挙では、親欧米派のペトロ・ポロシェンコ氏が当選した。しかしウクライナ東部に根を張る親ロシア派武装集団との対話や、ロシアとの関係改善へ向けた取り組みの前途は厳しい様相だ。ウクライナは、EUの天然ガスの44%を占めるロシア産ガスのパイプラインが通過する要所なのだ。他方で、4月にロシアによるクリミア併合が行われたが、それを無効と主張する米国はロシアへの金融制裁などを行っている。だが、その効果は甚だ疑わしい。米欧諸国の間では、対ロシアの足並みは揃っていない。
対イラン核協議――、昨年11月に半年間の暫定的合意がなされた欧米など6ヵ国とイランの核協議は、核兵器級のウラン濃縮を停止することなどが柱。ところが、欧米とイランの間の恒久的合意への協議は進んでいない。
核軍縮――、来年の核拡散防止条約(NPT)の再検討会議に向けた国連本部での準備委員会では、核保有5ヵ国(米英露仏中)による核軍縮の報告書が5月に公表された。2013年9月末で、米英仏が保有核弾頭数を公表する一方で、ロシアと中国が核弾頭保有数の公表を見送った。デタント(緊張緩和)は進んでいない。
日本は歴史を学び戦略的視点を持って
エネルギーセキュリティ確保すべき
かつての東西冷戦も、エネルギー・原子力問題が具体的な契機であったと見ることができる。
第二次大戦終結から間もなく、新たな国際機関を設置して核兵器材料のアクセス・管理や核分裂物質の製造を監視し、核施設にライセンスを与え、原子爆弾を国際的な管理下に置く「アチソン・リリエンソールプラン」という提案がトルーマン米大統領からなされた。ソビエト連邦はこれを事実上拒否し、1946年2月にスターリン首相が新5ヵ年計画を公表して、数年以内の核開発方針を出した。
これにより、米欧では対ソ強硬路線である「封じ込め」政策が台頭し始めた。その象徴が、チャーチル英首相が米ミズリー州ウェストミンスター大学で行った有名な演説の中で「バルトのシュテッティンからアドリアのトリエステまで、ヨーロッパ大陸を横切る鉄のカーテンが降ろされた。中部ヨーロッパ及び東ヨーロッパの歴史ある首都は、全てその向こうにある」と述べたことであった。その後、1949年にソ連は原爆の開発に成功している。
今日、世界が『新冷戦』を迎えているかもしれないなかで、日本は国際社会でいかに生き抜いていくか、特にエネルギー・原子力問題にどのように対処していくか。これには、徹底した戦略思考によって、かつての東西冷戦の開始後に世界各国がエネルギー・原子力問題に関してどういった道を辿ったかを振り返ることが大事だ。過去の紛争の背景や原点を見極めると同時に、今後の紛争に備え、将来のエネルギーセキュリティを確保することが必須である。