こういった歴史から、長らく米国に抑圧されてきた保険業界にとって、第一による米国生保の買収は胸のすく案件といえる。

 むろん、今回の買収は第一にとって、何が何でもやらねばならないという事情があった。それは、1902年に日本初の相互会社として誕生した第一が、株式会社に転じ(株転)、東京証券取引所に上場した10年4月に端を発する。

 NTTドコモ以来の大型上場となる第一の上場は注目を集め、初値は売り出し価格の14万円を上回る16万円を付けた。株転・上場に合わせて社長に就任した渡邉光一郎氏は、「欧米大手に並ぶ生保グループを目指す。アジアを軸に海外展開を本格化する」と宣言した。

 だが株価は上場後すぐに低迷し、長らく低空飛行を続けた。リーマンショックの余波や東日本大震災、欧州危機など外的要因もあるが、少子高齢化が進む日本では、営業職員が中心の旧態依然としたビジネスモデルに成長の余地はないからだ。

 また、成長戦略に掲げたアジアの生保の買収などは、「成長の余地は確かに大きいが規模が小さい。4兆円規模の保険料等収入がある第一を成長させるには、荷が勝ち過ぎている」(大手生保幹部)。

 加えて、上場後に渡邉社長が、株価が下がることを嫌気し、「3年間は公募増資をしない」と発言したことも、当面大型買収を行わないというメッセージだと市場に受け取られ、株価低迷に拍車を掛けた。もっとも、第一も手をこまねいていたわけではない。

第一の巨額買収が他生保への株転圧力に
つながりかねない

 例えば、08年の業務提携からスタートし、11年には完全子会社となったオーストラリアのTALグループ。顧客ニーズに合わせたマルチチャネル展開を通じて保障性商品を販売する方策が奏功し、業界首位に躍り出た。