外科医は命にかかわる病状をもつ患者さんと向き合うことが多い。生と死のはざまで、仕事をするが日常だ。ときに医療の無力さを痛感することもある。そんなときはつい自分自身の死について自問自答している。あの特別の思い出とともに。
医学研究科博士課程で人体酵素の精製に成功したころ、私は論文を作成する一方で、病棟主任として大学病院で働いていた。
あるとき家に帰ると海外旅行から戻った父が、風邪をこじらせたといって寝込んでいた。
「親父、熱何日続いているの」と私がたずねると、「そうやな。もう5日ばかり下がらんな。でもF先生は寝ていたら治るといっておられたから」と父。
「明日は、ぼくI病院で夕方から当直してるから、午後6時に保険証もってきてよ。精密検査してみるから」
翌日、CT室には両手を頭の上で組んでいる父。手前の画面に映し出された内臓の断面には、肝臓にこぶし大の黒い影が。父はそのままI病院の入院患者となった。
父の入院
大学病院医局で私は、肝外科の権威であるM先生から「腫瘍マーカーのCEAが少し高いのが気になる。アメーバ赤痢ではないが、恐らく肝膿瘍か腫瘍だな。すぐに西7階個室を用意するから転院だ」と言われた。
転院して1週間後、M先生に父の手術の執刀をしてもらうことになった。手術につくのは私と卒業したての研修医だ。そのことを父に伝えると「息子に殺されるのか」と憎まれ口をきいた。
手術は早朝から始まり、術中の診断で病巣は特殊な肝癌であることが判明。横隔膜、肺にも直接およんでいたが切除不能ではないと判断。18時間にもおよぶ手術となり、出血量は13リットルにもいたるというとてつもない大手術となった。
父は会社社長だったので、社員が総出で輸血用の検体となる人を集めてくれた。おかげで手術は成功した。