決算説明会を終えた私は、東京駅から成田エキスプレスに飛び乗った。
「幸い、当社は、東日本大震災の直接的な被害は受けませんでした。しかしながら、当社製品は被災者の皆さんに必ずお役に立てると思い、支援物資として、医薬品ならびに衛生製品を被災地にお届けしました。なお、明日、北京で下痢止め薬、日本市場シェアトップの『正露丸 糖衣A』の新発売セミナーを行ない、市場開拓に努めてまいります」
と事業説明の言葉の余韻を感じながら、私は車窓を眺めていた。
「原発事故でアジア各国、特に中国では日本製品の輸入制限が行なわれた。しかし、日本製品の信頼はまだまだ高い。必ず明日のプレゼンを成功させ、事業拡大を図らなければならない」
私はそんなことを考えながら成田エキスプレスの車窓の景色と、去年、イタリア旅行で移動中に見た田園風景を重ね合わせていた。そしてメジチ家の家紋を思い出していた。
北京空港から市内のホテルへ入ったが、私の時計は夜の10時をさしていた。北京市内のホテルに着いた私を、震災の翌日、東京でお会いするはずだった代理店の社長さんやスタッフが出迎えてくれた。
「お疲れ様です。ようこそ北京へおいでくださいました。震災で東京へ行けなくてごめんなさい」と代理店の社長。
「いや、東京へは来なくってよかったですよ。地震の後、原発事故が起こりましたからね」と私。
「簡単な食事を用意していますがご一緒しませんか」と社長さん。
「お腹はパオ(いっぱい)で体もシンクーラ(お疲れ)なので申し訳ないですが、今日は失礼します。明日はよろしくお願いします」
疲れていた私は社長の誘いを辞退し、チェックインした。部屋に入った私は、シャワーを浴びたあと、メールチェックもすることなくベッドに横たわった。私の体は、まるで溶けるかのようにシーツにすいこまれるような感覚に包まれた。朦朧とし始めた意識のなかで、人の体も血液の流れが悪くなるとメルトダウンすることを思い出していた。
人の体は麻痺などで寝たきりになると、お尻の部分が床ずれになる。自身の体重の圧迫で血液がうまく回らず、発赤から、水疱、さらには感染が起こりお尻の部分に、大きな潰瘍、いわゆる褥創となるのだ。大学博士課程の私は、法医学教室で検死解剖のご遺体の胃粘膜中の酵素活性を測定し、死後の時間的変化を検証していた。
「手術で切除された胃は壁もしっかりして粘膜も分厚いのに、亡くなられた方の胃は薄っぺらですね」と私。