現実への失望

 自分で選んだはずなのに、実現してみると「こんなはずではなかった」と思うことがある。就職や転職にはそうしたことがよくあるし、結婚でもそう思う場合があるだろう。「政権交代」もその仲間なのかも知れない。こうした場合、期待が大きい分の落胆もあるし、逆に自分の選択を否定したくないという心理も働き、客観的な状況把握が難しい。

 前任の何人かとは異なるインテリジェンスと華やかさを持って登場した、新政権の顔、鳩山由起夫首相であったが、最初に与えてくれた軽い失望は、記者クラブ所属以外のメディアに対しても開放するはずであった首相の記者会見を、実際には開放しなかったことだ。この事情はダイヤモンド・オンラインの上杉隆氏の記事に詳しいが、こんな筈ではなかったのだ。

 これは、直ちに天下国家を揺るがすような大問題ではないが、民主党の「約束」がこんなに簡単に破られることに対して、違和感を感じたのは確かだ。この問題については、平野官房長官が悪役を買っている印象なのだが、鳩山首相本人が矢面に立たないからといって、彼に説明責任がないわけではない。

 自他共に認める鳩山首相の側近である平野官房長官に関連する問題としては、官房機密費に関する情報公開を拒否する姿勢にも鳩山・平野コンビの非誠実を感じる。官房機密費の支出の内容が全く公開されないことに関して、野党時代の民主党は大いに批判的であったはずなのだが、鳩山首相は「相手があることなので(情報公開は)難しい面がある」と歯切れが悪く、平野長官に至っては「私が適切に判断しているのでご信頼いただきたい」と開き直る始末だ。しかし、民主党としての見解の連続性を不問にしたまま「信じろ」と言われても、こんな男を信頼できるはずがない。

 率直に言って、平野官房長官の存在は鳩山内閣のイメージ・ダウンにもつながっているのではないかと思うが、政治家の言葉の重みと問題の重要性を考えると、先ず、内閣の責任者であり、平野官房長官の任命者でもある鳩山氏の責任を問うのが正しい筋道だろう。