テレビや演芸の発展に伴走してきた<br />「吉本で一番おもろない男」の半生記<br />――吉野伊佐男・吉本興業会長インタビュー『情と笑いの仕事論 吉本興業会長の山あり谷あり半生記』
驚愕エピソードで語られるエンタメ仕事論!
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――その後、念願だった花形の制作部に行かれて、交渉能力など吉野会長ならではの強みを発揮されたみたいですね。タレントのギャラを1年契約から番組ごとの「時価」に変更されたり。

 制作部にいたことはあっても、代名詞になるような制作番組や育成タレントがあるわけじゃなし、制作の周辺で起こる「こっちで揉めてます」「トチった(遅刻した)んで謝ってきて」といった“よろず屋”稼業でした。総務や経理にいたせいか、持ち込まれるのは金やスケジュール調整の相談ばかりで。

 ギャラについていえば、それまでは民放と我々とのあいだで年初にそのタレントの出演料を決めたら、1年間はずっとそれが有効だったんです。でも、3~4カ月でドーンとブレークすることって今でもあるでしょう。だから、出演する都度に交渉して「時価」で決めましょう、と集まった放送局がずらーっと並ぶなかでお願いしたんです。「それじゃあ予算が組まれへん」とか嫌がられたんですけど、結局、以降は時価になりました。

 別に交渉が好きなわけじゃないんですよ、僕も。誰もやらないから、やってただけです、やむなく。便利屋ですよ。まあ、ある意味では、この手の仕事が僕の得意分野やと周りが決めてくれたのかもしれませんけど。

 今時じゃあ「ほう(報告)・れん(連絡)・そう(相談)」が大事と言われますよね。僕のとこにも、みなちゃんと来てくれます。会社の規模も時代も昔と違いますし、そういう教育をされてますからね。でも当時は個人の力である程度までは話が成立する、そういう環境に吉本興業社内も周辺も恵まれてたんですな。当時、上司に「どうしましょ」と聞いても、「お前はどう思うんや」と逆に尋ねられて、「こうしたらどないでしょうか」と提案すると「なら、それでええがな」で終わってしまって、相談する意味ありませんでしたから。