状況はさらにエスカレートし始めた。俺は警察と顔なじみになっていた。ブラウンズヴィル(ニューヨーク州ブルックリン区の街、黒人の居住者が多い)では銃で狙われるのも珍しいことじゃなかった。狭い路地で賭け事をしていると、すぐ近くで銃弾が飛び交う。別のギャングがバイクをブンブンいわせて疾走し、自分に向かって一発撃ってくることだってある。俺たちはどこの組がどこを縄張りにしているか逐一知っていたから、危険な場所には行かないようにした。

 しかし、警察に銃で狙われるようになると話は別だ。ある日、何人かでアンボイ通りの貴金属店を通り過ぎようとしていると、宝石商が箱を運んでいるのが見えた。俺がその箱をひったくって、みんなで逃げた。うちのブロックの近くまで来たとき、タイヤがキキーッと音をさせ、車から私服警官が何人か駆け出してきて、俺たちめがけてパン、パンと発砲し始めた。俺は日ごろから根城にしている廃墟に逃げ込み、難を逃れた。

 警官が何人か建物に入ってきた。

「ちきしょう、あのガキども、頭にくるぜ、こんな建物に誘い込みやがって」と、そいつは言った。「殺してやるからな、ろくでなしども」

 白人の警官たちが話すのを聞いて、心の中で笑っていた。ここは俺の庭なんだ。

 奪った宝石箱の中には、高級腕時計や金貨のペンダントヘッド、ブレスレット、ダイヤモンド、ルビーがどっさり入っていた。2週間かけてそれを売りさばいた。ある場所で一部を売り、町の別の場所に行ってほかの品々を売った。

 こういう路上強盗はうまくやってのけたのに、初めて逮捕されたのがクレジットカードの窃盗だったのは皮肉な話だ。俺は10歳だった。こんな子どもがクレジットカードを持っているわけないから、年上のやつを店に行かせ、俺が指示してあれやこれや買ってもらい、そいつにも何か買わせてやった。あとで、別の年上のやつにそのカードを売りつけるつもりだった。

 あるとき、ベルモント・アヴェニューの小売店に入ってカードを使おうとした。俺たちはこぎれいな格好をしていたが、クレジットカードを持てる年齢には見えない。洋服やスニーカーをどっさり選んでカウンターに持っていき、レジの女にカードを渡した。女はちょっと失礼と言って席を外し、電話をかけた。あっと思ったときには、おまわりがやってきて、俺たちは逮捕された。

母との葛藤

 俺は地元の警察署に連行された。おふくろは電話を持っていなかったから、警察が迎えにいって署へ連れてきた。彼女は俺を見るなり怒鳴りつけ、その場で死ぬほどぶちのめされた。12歳になるころには、こんなことが日常茶飯事になり始めていたんだ。逮捕されるたびに裁判所へ行ったが、未成年だったから刑務所には行かずにすんだ。

 おふくろが署に来てぶっ叩かれるのがいやでならなかった。そのあと彼女は友達と酒を飲んで、俺をぶちのめした話をする。隅で体を丸めて身を守ろうとしても、かまわず攻撃された。あれはちょっとした心の傷になっている。今でも、部屋の隅にちらっと目が行くと、おふくろに叩かれたときのことが頭に甦り、思わず目をそむけてしまう。食料雑貨店でも、外の通りでも、学校の友達の前でも、法廷でも、おふくろは平気で俺を叩いた。