どこからか、次の対戦相手は誰になるかと質問が飛んだ。

「誰でもかまわない」と、俺は言った。「偉大な選手になるには誰とでも戦わなくちゃいけない。誰とでも戦ってやる」

 アンジェロ・ダンディまでが試合後、俺を褒め称えた。

「タイソンは今まで見たこともないようなコンビネーションを放った。いや、驚いたよ。俺はアリやシュガー・レイ・レナードのトレーナーも務めたが、タイソンの3発のコンビネーションは、ほかに並ぶ者がない。あんたたちも見たか? 右をわき腹にぶち込み、そのままアッパーを突き上げ、そのあと左フックを放ったんだ」

 その晩はずっとベルトを外さなかった。腰に巻いたままホテルのロビーを歩きまわった。祝勝会でも、カスの家でルームメイトだったジェイ・ブライトやボビー・スチュワートの息子やボクサーのマシュー・ヒルトンと外へ飲みに出かけたときも、腰に巻いていた。

 俺たちはラスヴェガスの〈ヒルトンホテル〉の向かいにある〈ランドマーク〉という場末のバーに行った。店には誰もいなかったが、俺たちは座ってひと晩じゅう飲み明かした。俺はウォッカを生(き)で飲(や)って、したたかに酔った。夜更けにマシューが酔いつぶれてしまったから、いろんな女の子たちの家を回ってチャンピオンベルトを見せてやった。セックスはしていない。しばらくいっしょに過ごして、出ていって、ほかの女の子に電話して、その子の家に行っていっしょに過ごした。

 どうかしてるって? 俺がまだ20歳だったことを理解してほしいな。それだけじゃなく、友達の多くは15、6歳だったことも。あの年頃はみんな子どもで、大差はない。ところが世界チャンピオンになったら、タイトルとその威光を守ろうと、急に周囲が人格者になることを期待し始めた。

 どうしたらいいかわからなかった。自分を導いてくれる人間はもういない。ベルトを獲ったのもカスのためだ。世界獲りに失敗したらいっしょに死ぬつもりだった。ベルトなしでリングを出るなんてありえなかった。あれだけの献身と犠牲と苦痛を経てきたんだ。毎日毎日、考えられるかぎりの手を尽くして。

 早朝になってようやくホテルの部屋に戻ったとき、ベルトを巻いた自分の姿を鏡で見て、俺たちの使命を達成したことを実感した。これで晴れて自由の身だ。

 しかしそのとき、カスの蔵書の1冊で読んだレーニンの言葉を思い出した。「自由はとても危険なものだ。我々は細心の注意を払ってそれを分配する」――この後の人生で、俺はこの一節を頭に入れておくべきだったんだ。

(続く)