日本でも大企業神話が崩壊して久しい。実際、2010年にパナソニックの完全子会社になった三洋電機は、ピーク時に10万人を数えた従業員のうち、今もパナソニックで働いているのはわずか9000人だけだ。残る9万1000人は散り散りになった。ソニーやシャープでも人員削減が続く。だが心ならずも会社を去った人々は敗者ではない。板切れにしがみつき、傷ついた仲間に肩を貸しながら自力で泳ぐ彼らは「敗れざる人々」だ。リストラが続く電機大手で。会社更生法の適用を受けた日本航空(JAL)で。『会社が消えた日 三洋電機10万人のそれから』(日経BP社)の著者、日本経済新聞編集委員・大西康之氏が敗れざる人々の闘いを追う。

非情の金網フェンス

おおにし・やすゆき
日本経済新聞 企業報道部 編集委員、1988年日本経済新聞社入社。欧州総局(ロンドン)、日経ビジネス編集委員などを経て2012年から現職。著書に『三洋電機 井植敏の告白』(日経BP社)、『稲盛和夫最後の闘い~JAL再生に賭けた経営者人生』(日本経済新聞出版)がある。

 彼らは二度売られた。

 三洋電機の冷蔵庫、洗濯機事業部門。ここで働いていた人々は、パナソニックによる三洋電機の買収で一度はパナソニックの一員になった。だがそれから3年もたたないうちに、パナソニックは両事業を中国の家電大手、ハイアール(海爾集団、本社青島)に売却した。彼らは今、中国企業の一員として働いている。一度はライバル企業に買われ、落ち着く間もなく今中国企業に売られた。数奇な運命をたどった彼らの「その後」を追ってみる。

 群馬県大泉町。東武小泉線の終点、小泉駅からしばらく歩くと三洋電機の旧東京製作所が見えてくる。今はパナソニックの社内カンパニーであるアプライアンス社の冷蔵庫、コールドチェーン(業務用冷凍・冷蔵装置)事業の拠点になっている。

 三洋電機時代は冷蔵庫の主力生産拠点で、ピーク時には1万5000人が働いた。円高に伴う生産の海外シフトが続き、2009年にパナソニックが三洋電機を買収したころには6000人まで減った。