2010年1月、約2兆3000億円の負債を抱えて倒産した日本航空(JAL)。倒産前5万1000人いた従業員は3万2000人に減り、残った社員も「明日はどうなるのか」という不安を抱えていた。しかし京セラ創業者の稲盛和夫を会長に迎えた同社の業績は鮮やかにV字回復し、12年9月には再上場。現在も高い利益水準を維持している。世間から「税金泥棒」と罵声を浴びながら、ひたすらに飛行機を飛ばし続けた彼らもまた「敗れざる人々」である。
キャビンの隅で泣いた
日本経済新聞 企業報道部 編集委員、1988年日本経済新聞社入社。欧州総局(ロンドン)、日経ビジネス編集委員などを経て2012年から現職。著書に『三洋電機 井植敏の告白』(日経BP社)、『稲盛和夫最後の闘い~JAL再生に賭けた経営者人生』(日本経済新聞出版)がある。
彼らは二度売られた。
「あなたの会社、つぶれたわよ」
2010年1月19日、入社3年目の川名由紀はJALの倒産を知人からのメールで知った。パイロットに気象情報など運航に関わる情報を提供する航務部に所属していた川名は、この日、休みを取って出かけていた。
「え、倒産」
にわかには信じられなかった。
甘い考えでJALを選んだわけではない。川名が入社したのは07年。2年前には安全に関わる運航の重大ミスが続いて国土交通省から事業改善命令を受け、次の年には「四人組」と呼ばれた子会社の4役員が新町敏行社長ら代表取締役3人に退任を要求する内紛が起きた。
川名たちは「それでもJALで働きたい」と望んで入社した世代だ。会社の経営がうまく行っていないことは承知の上で「自分たちが何とかする」くらいの気概を持って働いていた。それにしても前の期に過去最高の営業利益を出したばかりなのに、いきなり倒産とは。
この先どうなるのか不安で押しつぶれそうだったが、それでも川名は倒産を教えてくれた知人に気丈なメールを返した。
「私は自分のやるべきことをやる」
2日後の21日、川名が職場の関西国際空港に顔を出すと、飛行機はいつものように飛んでおり、いつも通りに仕事があった。