ザッケローニ監督は、日本人は「勤勉」な民族だと思っていたが、本田や香川らワールドクラスの選手は、究極的には我儘だろうと思いこんでいたに違いない。試合の状況によって適当に規律を逸脱し、決定的な仕事をしてくれるだろうと信じていたはずだ。ところが、彼らは監督の指示を愚直に守り、最後まで「勤勉」なだけで終わってしまった。

 端的に言えば、ザッケローニ監督の失敗は、我儘なイタリア人を躾けるための厳しい規律を、そのまま日本人に課してしまったことだ。それは、日本人に対して「やり過ぎ」となってしまったのだ。日本人選手は、イタリア人の監督からすれば、まさに理想的なほど規律ある組織を作った。しかし、次第にその規律でがんじがらめになっていき、最後は「思考停止状態」に陥った。それは、脇役のチームプレーならわかる。しかし、規律を逸脱したスーパープレーを期待したエースまでもが、ただ「自分たちのサッカー」を譫言のように繰り返したのは、監督にはまったく予想外だったに違いない。

バブル崩壊後、
欧米的実学教育を導入した日本の大学

 筆者は、ザッケローニ監督の指導の「失敗」から、日本の大学における欧米スタイルの教育導入の「失敗」を連想してしまう。

 ご存知の通り、日本の大学は「レジャーランド」と呼ばれてきた。「入学試験は難しいが、卒業するのは簡単」であり、高校までの厳しい「受験教育」から一転して、大学で学生はほとんど勉強をしなくなり、サークル活動、バイト、遊びばかりに熱中していたものだった。

 ただ、レジャーランドとは、批判的な意味ばかりではなかったと思う。厳しい受験勉強で凝り固まった頭になった学生が、大学生活で勉強以外のいろんなことを体験することで、社会に出る前に人間的な幅の広さを身に着けるために必要な期間でもあった。企業側もそのことをよく理解していた。新入社員には入社後に多様な研修プログラムを課すことで、徹底的に鍛え上げられ、社会人として成熟していった。

 だが、その状況は「バブル経済」が崩壊した90年代から変化していった。業績が悪化した日本企業は、大卒の新入社員の研修にコストをかける余裕を失い、「即戦力」の人材を求めるようになった。大学は、レジャーランドではいられなくなった。企業の代わりに若者を鍛え上げる教育が求められた。