前回は、代ゼミが3つの撤退戦に取り組んでいることを述べた。第1の撤退戦は、学びのスタイルの変革に見合うような、私大文系の「教え込み型」からの撤退である。第2のそれは私大文系の「学力試験」からの撤退だった。では、残る撤退戦とはどのようなものなのだろうか。
私大文系という「マーケット」からの撤退
今年度の代ゼミの生徒募集案内冊子をご覧になった方はどのくらいいるだろうか。
世間では、報道にもあるように「理系の駿台、国公立の河合塾、私大文系の代ゼミ」というイメージがある。ところがどうだろう、代ゼミの案内冊子のコース案内は国公立大理系コースから始まり、私大文系コースは最後である。案内冊子では、集めたいコースや強みのあるコースから紹介するのが普通だ。
つまり、私大文系の集めにくさを既によく理解している。予備校や塾の当事者は募集状況が一目で分かる。教室の空席がどんどん増えてくると、いずれその校舎は閉鎖されるだろうという不安を、代ゼミの講師も職員もこれまでずっと抱えてきたことだろう。
2008年頃、私は代ゼミの幹部職員と会食する機会が何度かあった。彼らは、当時から私大文系には懐疑的であり、医学部進学を目指す受験生をどう獲得するかを考えていた。九州では、数百万円を支払えば、授業のみならず有名教員による個別指導、職員による進路や生活面でのアドバイスなど、代ゼミが持つありとあらゆるサービスを提供しようというコースも設けられていた。
これはニュースなどで話題になったが、新宿の代ゼミタワーの上層階に寮を設置したりして、予備校に通う生徒の中で誰が一番財布の紐が緩いかをよく検討していた。
そして当時、サピックスを始めとする中学受験の塾などが毎日のように代ゼミに「うちを買って欲しい」と相談に来ることを自慢していた。塾は代ゼミの資金力に縋(すが)りたかったのだろう。結果として、サピックスを傘下に収めることになった。
18歳人口の減少は浪人の減少を生み、代ゼミにダメージを与えた。とりわけ「お得意さん」であった私大文系の中下位層の予備校離れが痛かった。いまや私大文系は予備校や塾において厄介な存在となっている。AO入試は8月から始まり10月には多くが決着する。推薦入試は11月からだが、これもすぐに結果が出る。