大学全入時代に突入し、足もとでは予備校危機が顕在化する日本。一浪、二浪してでも希望の大学に合格したいという若者は、減り続けている感がある。若い時代に受験浪人を経験した人たちは、こうした世相を寂しく思っているかもしれない。今の時代において「浪人」という選択肢を選ぶことは、誤りなのだろうか。改めて「浪人」の社会的価値を考えてみる。(取材・文/プレスラボ・カツセマサヒコ)
「難関大に浪人して入る」は過去の話?
今や大学受験をめぐる世相は一変
何回も受験浪人をして、晴れて念願の難関大学に合格――。そんな時代は、懐かしいものとなった。
1940年代後半、1970年代前半生まれのベビーブーマーたちが一斉に「大学受験適齢期」となり、有名大学の狭き門を狙って日夜勉学に凌ぎを削った時代、メディアはそれを「受験戦争」と呼んだ。
かつて難関大学のキャンパスは、「石を投げれば浪人経験者に当たる」と揶揄されたものだった。中高年世代の中には、「浪人」という言葉に対して、あたかも青春時代のほろ苦い1コマであるかのような、ノスタルジーを感じる人も少なくないのではないだろうか。
しかし、今や大学受験をめぐる世相は一変している。「大学全入時代」と言われるようになって久しい。その理由には、少子化により学生の母数が減ってきたこと、AO入試や推薦枠の普及によって大学入学へのハードルが下がったこと、長引くデフレ不況を理由に、金をかけてまで浪人になることを選ばず、中堅以下の大学に現役で入ることを選ぶ学生が増えてきたことなどがある。若い時代に受験浪人を経験した人たちは、こうした世相を寂しく思っているかもしれない。
それでは今の時代において、若者が「浪人」という選択肢を選ぶことは誤りなのだろうか。また若者にとって、「浪人」という選択肢を忌避することは、後の人生において全てプラスになるのものなのか。大学全入時代だからこそ、改めて「浪人」の社会的価値を考えてみよう。