ジミにしてみれば、自分を見出してくれた恩人との決別は容易ならざる葛藤をもたらしたに違いありません。が、その恩人との決別が、ジミの音楽の飛躍の大きさを物語っているのかもしれません。

 チャスにしてみれば、米国で誰からも見いだされていなかったジミの巨大な才能に強烈な確信がありました。その確信が正しかったということが、自身が見出した才能との決別で証明されたとも言えます。皮肉なものです。

 別れがあり、出会いがあるのが人生です。チャスとジミの出会いは、2年前に遡ります。

チャス・チャンドラーとの邂逅

 チャス・チャンドラーが初めてジミを聴いたのは、1966年7月5日、ニューヨークはグリニッジ・ヴィレッジの“フェ・ホヮ?”でした

 ニューヨーク時代はジミー・ジェームスと名乗っていたジミ。1942年11月27日にシアトルに生まれた時の本名は、ジョニー・アレン・ヘンドリックスでした。

 ジミが率いるバンドは、ジミー・ジェームス&ザ・ブルー・フレームスでした。全く無名でしたが、ヴィレッジではちょっとした話題になります。それもそのはず、この段階で、ジミは既にリトル・リチャードやアイズレー・ブラザーズのバックバンドのギタリストとして、全米で公演をしていました。

 他人のバックを経て、自分のバンドを持つと決意してここに至ったので、実力的には相当なものがありました。この頃の演奏はボックス盤「ウエスト・コースト・シアトル・ボーイ」(写真左)で聴くことができます。

 チャスは、ローリング・ストーンズのキース・リチャーズの女友達から「是非聴きに行くべし」と強く勧められ、大して期待せずに聴きに行ったのですが、ジミのギター演奏に度肝を抜かれます。その時チャスは、“朝日のあたる家”(写真右)の大ヒットで有名なアニマルズのベース奏者でした。ジャケット写真の右から2番目がチャスです。

 しかし8月、アニマルズは解散。チャスは次のステップを踏み出すべく、ニューヨークで機会を探していた時、脳裏に焼きついていたジミー・ジェームスを思い出します。

 その頃のジミは、ジミー・ジェームス&ザ・ブルー・フレームスが行き詰っていました。新たな展開を考え、白人ブルースシンガーのジョン・ハモンドJr.を加えて、ザ・スクリーミング・ナイト・ホークスとして再出発します。8月13日のことです。

 そして、9月9日。チャスとジミが運命の再会を果たします。

 ジミの才能を確信したチャスは、自身が英国人なので、ジミの音楽はニューヨークよりもロンドンで開花するはずだと直感します。ロンドンには友人・知人が大勢いるので、きっと、道が開くはずだと。

 そして、ジミだけを連れてロンドンに帰ります。他のバンドメンバーは歯牙にもかけません。結局、音楽の世界は実力だということなのしょう。そして2年後に同じことが起こる訳です。ジミの才能について来られない奴は去れ、ということですね。