不機嫌な職場を変える処方箋?
飲み会はアリかナシか、続く議論
本連載「黒い心理学」では、ビジネスパーソンを蝕む「心のダークサイド」がいかにブラックな職場をつくり上げていくか、心理学の研究をベースに解説している。
組織を蝕む「心のダークサイド」について取材するようになったきっかけは、共著『不機嫌な職場~なぜ社員同士で協力できないのか』の執筆からだった。
当時、心理学の基礎研究ばかりやっていて、応用研究に興味を持っていなかった私に、ビジネスコンサルタントの共著者らが意見を聞きにきてくれたのがきっかけだ。それを機に、自分の研究が日本の企業組織の分析に役立つことを知り、以来、基礎研究を軸にしながらも、現場の話を聞く姿勢も持つようになった。
その『不機嫌な職場』で、筆者らは職場でのコミュニケーション不全を指摘した。同時に、現在のライフスタイルでは、就業時間外に社員たちがリラックスしてコミュニケーションをとれる場を持ちにくいことも述べ、いくつかの企業が採用しているコミュニケーション促進のための工夫を紹介した。
ありがたいことに、2008年の発売当初から大きな反響をいただき、現在まで版を重ねることができている。まだお読みいただけていることに嬉しさを感じると共に、問題の根深さもまた痛感している。
不機嫌な職場では、社内運動会やアフター5の飲み会には(少なくとも昭和時代までは)、社員同士、上司・部下間のインフォーマルな情報交換を促進し、仕事を円滑に運ぶための「潤滑油」としての役割があったことを指摘したが、その部分について同意するコメントや意見を、多数いただくことができた。
だがそれ以降、現在まで、ネット掲示板などでは定期的に「飲み会の是非」ついての議論が起こっている。あるときは、「飲み会に部下を誘ったら、『その分残業扱いになるんですか』と返してきた」という「上司」からの書き込み、またあるときは、「自腹切って飲み会いって、上司に囲まれて説教食らって鬱、ってどんな罰ゲームよ?」という「部下」からの書き込みなど、賛否両論が飛び交っている。
不機嫌な職場の著者の1人としては、「飲み会」には功罪両方ともあると思っている。本の中で指摘した「インフォーマルコミュニケーション促進剤」としての飲み会は、昭和時代の話だ。アルハラ、セクハラ、パワハラの温床にもなりがちな飲み会を、現在では手放しに推奨することはできない。