今年3月11日で、2011年3月に発生した東日本大震災から4年が経つ。2万人近い人が亡くなり、今も行方不明者がいる。遺族や家族は月日が経とうとも、身内の「死」に思いを巡らす。

 震災から4年を迎えるにあたり、遺族3人に取材を試みた。焦点を当てたのは、遺族の男性たちの「心」である。彼らは心に傷を負いながらも、仕事をし、収入を得て、家族を養っている。私はその姿に、震災報道からはうかがい知ることができない「苦悩」を見た。その「心」に迫ることで、人が生きていく意味を問いかけたい。

 はじめに紹介するのは、震災で妻を失った男性である。妻の命を奪ったのは「自然災害」であるが、その中に「人災」があったのではないかとこの4年間、考えている。しかし、それが司法の場で、世間でなかなか認められないという壁にぶつかっている。


海にあいつがいる気がするから――。
“先生”と一緒に潜り続ける日々

高松康雄さん。女川町(宮城県)の自宅にて

「女房を見つけてやりたくてね。海に潜っていると、女房がいるような気がして。気がするだけなんだろうけど……。たぶん、あのあたりにいるんだろうから」

 今年2月上旬、雪が降る日だった。女川町(宮城県)に住む高松康雄さん(58歳)が、自宅の居間でお茶の入ったカップを手にしつつ、震災当日から現在に至るまでを振り返った。妻の祐子さん(当時47歳)は、今も行方不明だ(「高」の字は正確には「はしごだか」)。

 妻を探すために仕事の合間に時間を見つけ、近くの海に潜っている。潜水士の国家試験にもパスした。潜るときは、「先生」が寄り添ってくれる。「先生」はベテランのダイバーで、ダイビングサービスの店「High-Bridge」(ハイブリッジ)を石巻市(宮城県)で営む男性だ。

 高松さんは、感謝の思いを打ち明ける。

「私よりもはるかにお若いけど、立派で誠実な方でね。ボランティアとして無償で一緒に潜ってくださる。海中でも懸命に探していただける。お店のスタッフなどが一緒に潜ってくれて……俺は運がいい。何かの縁で、先生と引き合わせていただいたと思っている。女房の力かな……」

 2013年の9月から海に潜るようになり、すでに50回ほどになった。1本のタンクでダイビングする時間は40~50分。休憩を挟み、タンク2本分の時間を潜る。1日で数時間の「捜索」となる。