家族5人を失った震災遺族がいる。このような遺族は今や、新聞やテレビで報じられる機会が少なくなり、次第に忘れ去られつつある。しかし、心の葛藤を抱え込みながら、懸命に生きている。

 今回は、孫3人、息子の妻、実の母親が津波に飲まれて死亡したにもかかわらず、その後も消防団員として遺体の捜索・搬送を続けた男性を紹介したい。我々は、こうした遺族たちの「今」をもう一度検証してみる必要があるのではないか。


この家を残しておくと
前に進んでいけねぇから……。

(上)家族5人の遺影を前に話す、阿部誠さん。孫3人の写真は、七五三のときに撮影したもの。(下)自宅は5月に解体することに。

「ここには、思い出が染みついている。家族が5人もいなくなって、家がそのまま残っている……」

 宮城県東松島市大曲地区で、キュウリやトマトなどのハウス栽培を行なう阿部誠さん(62)が、自宅1階の奥の部屋で、5人の遺影を背に座る。窓の外を見つめながら話す。その声が静かな室内に響く。

 10部屋以上もあるこの家は、近く解体することになった。昨年3月に津波が押し寄せたが、高さは1メートル数十センチほど。家は、大きな被害を受けなかった。それでも、一緒に農業をする長男の聡さん(35)と話し合い、家を新たな場所につくり直すことにした。

 阿部さんは、独り言のようにつぶやく。

「この家を残しておくと、前に進んでいけねぇから……。遺影も見たくねぇんだっちゃなあ……。思い起こすから。みんなが生きていたら、津波で破壊されたところを修理して住むんだけど」

 遺影は向かって右から、阿部さんの義理の娘であり聡さんの妻の妙恵さん(享年35歳)。その左が、3人の子の一番上で長女の夏海さん(同10歳)、その横に、真ん中の子で長男の壱輝君(同9歳)、さらに末っ子で次女の美命ちゃん(同5歳)。左端に、阿部さんの実母のたつ子さん(同82歳)。