やれる自由とやらない自由
会社では、何かをやりたいと思っても大抵はやれないものだ。会社の状況や組織の都合でうまくいくかわからない。さまざまな理由が行く手を阻む。そんなとき「できないのは自分のせいだ。自分の力が至らないからなんだ」なら我慢できるけれど、会社がこれをやればきっと成功するのに、それが理解できない人がいたり、それをやることで失敗するのが嫌だと考える上司がいてできない、という場面はつらいものだ。
そしてまた、会社というのは普通、嫌な仕事もしなくちゃいけない。単に自分が苦手なことをするならまだしも、世のためになっていると思えない仕事をしなければいけないことも出てくるかもしれない。これは、つらい。生きていくためにはしょうがない、サラリーマンとはそういうものだと、いろいろな言い訳で自分を納得させてみるものの、やっぱり朝起きると憂鬱になったり……。
広告代理店で働いていたメンバーは、サラリーマン時代にパチンコの普及の仕事をしなければならなかった。パチンコはしたこともないし、する人の気持ちもわからない。さらに、あれはない方がいいと思っていた。
にもかかわらず、会社としてその仕事を受注し、それがミッションとして降りてくればやるしかない。もっと決定的に悪いことなら、「嫌です」と言えるんだけど、それは立派な産業として成り立っているし、それで生活をしている人もいる。
そこで遊んで一時の幸せな時間を過ごしている人も何千万人もいる。そこに「NO」と言うほど子どもでもない。そのとき、そのメンバーは、ただ会社の看板を傷つけないために、それをやるという選択肢しかなかった。
そういうことが、僕らはすごく苦手だった。別に遊んで暮らしたいわけじゃなくて、いいことをいっぱいしたいし、一生懸命がんばろうと思っているけれど、「自由」がないのは嫌なのだ。
仕事を「やる自由」と「やらない自由」。我慢の苦手な僕らには、これがないのは本当にキツいのだ。会社を辞めたことの潜在的な理由の一番大きいところかもしれない。でも、自由が欲しい! と言って独立すればなんのストレスもなくなるかと言えば、きっとそんなわけがないことはわかっていた。お金がない、人がいない、時間がないと、大変なことが待っているに違いない。
しかし、大事なのは自分の力や可能性と関係ないところでやることを決められてしまうことだけは嫌だ、ということ。自分の力が及ばずに思う通りにいかないのは構わない。会社を辞めて一番大きかったのは、この仕事は自分に向かないなとか、ポリシーに合わないと、「すみません!」と断る自由を得たということだ。一見、消極的に見えるけれど、僕らにとっては大きなことだった。