11月7日、ジャーナリストの筑紫哲也氏が亡くなった。ヘビースモーカーらしく死因は肺ガンだという。1年半に及ぶ闘病生活の末の永眠、73歳だった。
翌日から、テレビでは追悼番組が流され、新聞では氏の功績を称える記事が掲載される。
「硬骨漢のジャーナリスト」、「弱者の味方」という言葉が躍り、文字通り、絶賛の嵐である。
確かに、朝日新聞記者からスタートし、政治部記者、海外特派員、朝日ジャーナル編集長、ニュースキャスターと歩んできたその経歴を振り返れば、さもありなんであろう。
だが、正直に告白すれば、筆者にはどうしてもその種の報道がしっくりこない。
基本的に、日本社会は「死者への鞭打ち」をタブーとしている。中国春秋時代、楚の平王の死体に鞭打った故事に倣い、権力者といえども、死者は尊厳をもって扱われるべきという観念は、いまなお日本社会にも通念している。
確かに、反論のできない死者に対して、一方的な批判を繰り出すのはフェアでないに違いない。
しかし、一般人ならばそれでいいのかもしれないが、自らも他人に対して厳しい批判を繰り出していたジャーナリストという職業となると、そうもいかない。厳しい仕事ではあるが、その実績については、是々非々で検証されるべきであろう。それが却って、筑紫氏の功績を輝かせることに繋がると筆者は信じる。
日本で唯一の
キャスターと言われたが
6年前、筆者はその筑紫氏へのインタビューを行った。正確には、月刊誌『現代』(2003年2月号)の記事(「寡黙なカリスマへの大いなる疑問 筑紫哲也はニュース番組を迷走させる」)の中で、筑紫氏の反論が必要となって、電話取材で話を聞いたことだ。
「『君臨すれども統治せず』というのが、番組開始以来の私の一貫した姿勢です」
当時、筆者にこう語った筑紫氏だが、まさしくこの言葉こそ、筑紫氏の目指してきた報道番組の精神を指し示すものである。