「バードランド」の和田さんが教えてくれたこと

 蔡さんは1988年、31歳の時に来日した。それまで勤めていた工場の研究所をやめ、妻と長男を残し、ひとりで日本にやってきた。バブル直前で、日本が景気のいい時代だった。日本語をかじっていた蔡さんは、日本で仕事をすれば生活が豊かになると信じていた。

「阿佐ヶ谷に住んで日本語学校に通っていたのですが、駅までの道の途中に『従業員募集』という貼り紙を見つけたんです。『働きたい』と申し出たら、和田さんが出てきて、少ししたら、入ってくれ、と言われました」

 それから2005年までの17年間、蔡さんは和田さんの片腕として働いた。その間、妻と長男を呼び寄せた。妻もパートで働き家計を支えた。

 バードランドで鳥を焼くのは和田さんの仕事だったけれど、蔡さんはその他の料理を作り、サービスをし、皿洗いや掃除もやった。そうしてバードランドは繁盛店となり、2001年、銀座の塚本素山ビル地下に移転する。江戸前寿司の本道「すきやばし次郎」の主人に見込まれ、「隣に来い」とすすめられたからだ。以後、バードランドはなかなか予約の取れない店になった。

 2005年の初め、蔡さんはふと考えた。

「オレはもう少しで50歳だ。バードランドにも若い店員が増えたから、いつまでもいてはいけない。独立しよう」

 妻、大学生になっていた長男も蔡さんの決断に「それがいい」と賛成した。

「でも、私は焼き鳥屋をやる気はなかった。和田さんのライバルになるような仕事はできないし、それに、中国人が焼き鳥屋をやってもお客さんが認めてくれないだろうと思った」 

 蔡さんは中央線沿線を歩き、物件を探した。中野の駅前の路地に小さな店を見つけ、家族3人が力を合わせて内装を整えた。蔡ファミリーの店、蔡菜食堂がオープンしたのは2005年9月のことだ。

まかない料理に妙味あり

「私はバードランドにいた時、まかないを作っていました。その時に中国の家庭料理を作ると、みんな、とても喜んでバクバク食べてくれました。和田さんは『蔡さんがまかないを作ると米がすぐなくなる』と嘆いていたくらいです」

 いま、蔡菜食堂で出している家庭料理は上海の家庭料理であるとともに、バードランドのまかない料理でもある。

 和田さんは蔡さんの独立を応援した。開業した後も、蔡菜食堂のことが気になるようで、顔を出しては「上海の家庭料理もいいけれど、こういうのはどうだ」と料理を教えにやって来る。それで、蔡さんは和田さんが考えたナンプラーとアンチョビの焼きそばなどもメニューに載せている。

「和食は出さないのですね」

 そう訊ねた。すると、蔡さんはこう答えた。

「まかないでは和食を食べますけれど、店には出しません。アジの開きやさんまを焼いたりして、焼き魚定食を作ります。おいしいよ、私の作った焼き魚」

 そうですか?

「そう。そういえば、あなた、知ってる? 中国では焼き魚も焼き鳥も食べないの。いまの若い子は食べるかもしれないけれど、中華料理に『焦げ』はないの。だから、焼き魚もなければ焼き鳥もない。新疆やウイグル自治区で羊を炭火焼きする料理はあります。しかし、一般の中華料理に炭火焼料理はありません。中国人が魚や肉を料理する時、お店でも家庭でも、『蒸す』のが多い。それは蒸す料理がいちばん衛生的だから。

 それだけじゃありません。上海の人は、にんにくもほとんど使わない。餃子も作らない。ワンタンは作るけれど、餃子はない。私も妻も焼き餃子を食べるようになったのは日本に来てからのこと」

茹でる前の状態のワンタン。同店では、ワンタンは作るけれど、餃子はない

 確かにその通りだ。言われてみれば、中華料理店で、日本と同じような焼き魚料理に出あったことはない。魚と言えば蒸す、煮る、揚げる。鶏肉、豚肉、牛肉の場合も、やはり蒸す、煮る、揚げるに加えて、炒める。

 また、料理店の店名でも、日本では寿司屋、和食屋など、「はしぐち」とか「さいとう」のように、自分の名前をつけることがある。

 しかし、中国では「店名に自分の名字をつけることなんてまずありません」(蔡さん)。だいたい、表札を出すこともない。住所の番号が戸口に記してあるのが一般的だそうだ。

 蔡夫妻と話していると、いかに私たちが中国人の生活について、基本的なことを知らないかがわかる。