しかし、その「弱者」を本当に弱者と言い切るだけの根拠が、記事の中では不十分なことが少なからずある。そこに、筆者はかねてから疑問を持っていた。そこで、98年から2000年にかけて、老夫婦が営む履物店を何度も訪ねた。女性からじっくり話を聞くと、「大店法の緩和の影響で、店に客が来なくなり、息絶え絶えの老夫婦」という報道が、事実に基かないものであることが浮き彫りになった。

 この店が閉店寸前になっていたのは、大店法の規制緩和や廃止云々の影響によるものではなかった。そもそも、ここは「商店街」とは言いがたい。当時も今も、店が並ぶ通りの幅や広さなどは変わらない。この幅を見れば、多くの人が思い描く「商店街」とはほど遠いのではないだろうか。

 女性や他の店の店主たちから聞くと、1960年代には通り沿いに30近くの店が並んでいたようだ。だが、その頃からすでに「買い物には不便」として、客足が次第に遠のくようになっていたという。市役所の経済課なども、当時そのように回答をした。

 この写真は、今回の記事を書く数日前に撮影したものだが、こんな細い道を自転車で通り、通り沿いの店に買い物に行く人は、いつの時代も少ないだろう。ましてや、車で買い物に行った場合、どこに止めるのだろうか。周りには、駐車場がほとんどない。

 店主らによると、1960年代から駅付近のスーパーなどに買い物に行く人のほうが、はるかに多かったという。この通り沿いの店には、近所の人が時折、現れる程度だった。「商売繁盛の通り」とは言い難かったのだ。

 1970年代、80年代と年を追うごとに、通り沿いの店の数は減った。98年当時には、10店ほどになっていた。それらの店の店主たちによると、店を閉じざるを得ない大きな理由は、「後継者がいない」ことなのだという。「大店法緩和によるもの」などと答えた人は、1人もいない。

もともとがシャッター商店街
本当に市場原理によるものか?

 女性は、店の売上が落ち込み始めたのは1970年代の中頃と語っていた。石油危機の頃だ。98年よりもはるか前からのことである。

 筆者には、98年の大店法緩和とこの老夫婦の店の売上が減ることの関係が、見えてこなかった。しかも、この履物店は店主である夫が1990年前後に意識不明となり、寝たきりとなっている。