2015年は戦後70周年の節目にあたる。昨日7月16日には「安全保障関連法案」が衆院本会議で可決された。
ジャーナリスト・櫻井よしこ氏によれば、日本人はいま普通の民主主義国家になれるかどうかの岐路(分かれ道)に立っているのだという。
新刊『戦後七〇年 国家の岐路 ― 論戦2015』を発表した櫻井氏が考える「日本人がいま、改めて認識すべきこと」とは?
全世界が「平和を愛する諸国民」だとは限らない
私たちは戦後70年間、世界でも稀な穏やかな年月を重ねてきた。
無論、多くの犠牲者を出し、徹底的に叩き潰された敗戦からの立ち直りは容易なものではなかったはずだ。
それでも日本人はその善き国民性、真面目さと勤勉さを軸にして見事に立ち直った。
日本の奇跡的な立ち直りはしかし、米国製の日本国憲法の特徴であるパシフィズムへの埋没と表裏一体だった。
平和は、日本人が自ら慎みさえすれば叶えられる、なぜなら国際社会は憲法前文にあるように「平和を愛する諸国民」と「公正と信義」に満ち溢れているからだと、日本人は考えてきた。
国際社会には善もあれば悪もある。
平和への努力がある一方で、他国の領土領海を侵略し、歴史を捏造する邪悪な攻撃もある。
だが、日本国憲法の下、自らを守ることを放棄し、国防の空白を米軍に埋めてもらう年月の中で、日本人は、国際社会の負の側面から目を逸らし、平和と安全は空気や水のように、あるのが当たり前と考えるようになった。
南シナ海で中国が沿岸諸国の国土や油を奪っていることを知らされても、日本に同じことが起きるとはなかなか思わない国民になった。
万が一の危機に備えて国民の命と国土を守るためには、米国依存の現状を変えなければならないという考え方にもなかなかならないのである。
これは「戦争法案」などではない
結果として、安倍晋三首相の下で、集団的自衛権の行使容認に踏み切り、関連法としての平和安全法制を整える国会論議は遅々として進まなかった。
日本が行使しようとしている集団的自衛権は有り体に言って、極めて限定的だ。
1995年に『エイズ犯罪 血友病患者の悲劇』(中公文庫)で第26回大宅壮一ノンフィクション賞、1998年には『日本の危機』(新潮文庫)などで第46回菊池寛賞を受賞。
2007年「国家基本問題研究所」を設立し理事長に就任。2011年、日本再生へ向けた精力的な言論活動が高く評価され、第26回正論大賞受賞。2011年、民間憲法臨調代表に就任。
著書に最新刊『戦後七〇年 国家の岐路 ー 論戦2015』(ダイヤモンド社)、『「正義」の嘘』(花田紀凱氏との共著)『日本人のための憲法改正Q&A』(以上、産経新聞出版)、『日本の敵』(新潮社)、『日本人に生まれて良かった』(悟空出版)など多数。
世界中で日本を除くすべての国々が留保なしに行使する集団的自衛権を、2015年のいま、日本は本当に限定的に行使しようとしているのだが、『朝日新聞』をはじめとするリベラルなメディアは、「戦争をする国になる」ための法案だと非難する。
社民党の福島みずほ氏は「戦争法案」だと声を大にする。
そんな主張が全く通じなくなる厳しい現実が、いま、出現した。
中国の凄まじい侵犯が東シナ海の日中中間線周辺で発生していたのである。
中間線にぴったり沿う形で中国がガス田を開発し、プラットホーム建設を急拡大している。
南シナ海での蛮行とほぼ同じ、中国の侵略的膨張行動が、我が国の眼前の海、東シナ海でも展開されていたのだ。
(この詳細は新刊『戦後七〇年 国家の岐路ー論戦2015』で)
戦後70年、私たちは日本周辺の国際情勢を見てとって、日本の次の世代、そのまた次の世代のために、日本国の行く末を確かなものにしなくてはならない。
これまでのように、現実には存在しない国際社会の善意を信じて、それにすがる国であってはならない。
日本らしい穏やかさと雄々しさをもとに、自主独立の精神に満ち溢れた国家として再生することが、私たちに課せられた使命である。