そんな時に、大学の恩師から「米国の会計事務所で働いてみないか」という話があり、ちょうど日本企業が海外に進出していた頃だったので、“渡りに船”とばかりに飛びつきました。当時は、まともに英語を話せなかったのですが、ニューヨークから来日していた面接官に必死にアピールして、何とか採用してもらいました。単身というのは、嬉しさのあまりに恋人(後の奥様)に相談をせずにニューヨーク行きを決めてしまったことによります(苦笑)。

──当初は、日系企業の現地子会社や駐在員事務所などをサポートするという仕事だったそうですが、M&Aとの接点は何だったのですか。

 慣れるまでは現地での生活は大変でしたが、日系企業の帳簿付けや給与計算、もめ事の処理やセクハラ訴訟の対策まで、“よろず相談屋”のような仕事をしていました。昼夜を問わず、本当にありとあらゆる支援業務をしていたので身体には堪えましたが、当時は感謝されることが何よりも嬉しかったのです。

 M&Aとの接点は、85年の「プラザ合意」で急速に進んだ円高により、日本企業が外国企業の買収を模索する動きが増えてきたことです。事務所内にM&A専門の部署を立ち上げて、少しずつ経験を積んでいきました。中でも、90年に松下電器(現パナソニック)が、ユニバーサル・スタジオの親会社のMCAを買収した大型案件に携われたことは、個人的に大きなエポック・メイキングな出来事でした。結局、松下電器は95年にMCAの株式を売却してしまいましたが、あのまま持ち続けていれば……と今でも考えることがあります。もしかしたら、現在の米アップルのように大化けしていたかもしれません。

 M&Aの助言会社として独立したきっかけは、2001年に発覚した米エンロンの不正会計事件でした。94年に帰国してから、新しくKPMGコーポレート・ファイナンスというM&A助言会社をスタートさせて業績も伸ばしていたのですが、エンロン事件の余波でKPMGが監査法人の在り方(仕事のルール)を変更したことにより、「監査をしているクライアントに対してM&Aの助言業務をしてはいけない」と禁止されてしまったのです。そこで、仕事を続けるために、独立系のM&A助言会社を個人創業することになりました。