通算参拝数1万回の「日本の神さまと上手に暮らす法」の著者・尾道自由大学校長・中村真氏が「神さまのいるライフスタイル」を提案します! 日本の神さまを意識することで、心が整い、毎日が充実する。そして、神社巡りは本来のあなたに出会える素晴らしい旅だと伝えてくれます。
神さまは、あなたが思う以上に私たちの生活の中に根ざしています。例えば、「観光」という言葉もそんな神さまを由来にした言葉。元来、神さまに会う旅が観光という意味なのです。旅行ではない「観光」をしてみませんか。
観光のルーツは神さまにある
神さまと出会う旅について考えたことはあるでしょうか。
近所にある“行きつけの神社”のほかに、日本中いたるところにある神社から“お気に入りの神社”を見つけるとそんな旅ができるようになります。
日帰りでもかまいませんが、一泊か二泊して、非日常を味わえたら最高です。
「旅に出るなら、神社よりもおいしいものを食べて観光するほうがいい」
そう思うかもしれませんが、神さまと出会う旅も観光旅行も、やることはほとんど同じです。そもそも「観光」のルーツはお伊勢参り。平安時代は皇室専用、室町時代から庶民も参拝可能となった伊勢神宮に行くことが、日本人の観光のはじまりなのです。
神社に祀られている神さまは「一人、二人」とか「一神、二神」ではなく、〈柱〉と数えます。「柱」とは、光を意味します。
「光(=神さま)をしっかりと観に行く」、これが観光のルーツというわけです。
神道に限らずキリスト教でも「光=神」という考え方があり、もっと概念的にいうと、光は希望や祈りの象徴だったりします。
せっせとお金を貯めて、一生に一度の大イベントとして光を観に行き、おいしいものを食べたりお土産を買ったりするお伊勢参りこそ、観光の原点―こう考えれば、神社ブームに乗り、楽しい気分で参拝を組み込んだ旅をするというのは、邪道でもなんでもありません。
神さまと出会う旅に出るとき、僕は神社ばかりかその土地の歴史を調べ、温泉や食べものまでチェックして出かけます。
楽しい旅で、光をしっかりと観る。
雲の切れ間から、光が差す一瞬に、ふと「神聖なもの」を感じる。
どちらも同じ、日本人にとっての神さまとのふれあいです。
◆今回の気付き
神さまと出会う「観光」をする
やるべきことをすませて身軽に出かける
本気で楽しめば、ほんとうに自由になれる。
夢中で楽しめば、まるっきり素直になれる。
神さまに出会う旅は、仕事や家事や義務から解き放たれて、思い切り楽しむ旅でもあります。
心も体も身軽になって出かけること。これこそ、神さまと出会う旅の、大切な準備といっていいでしょう。
体を身軽にするには、荷物はできるだけ少なめに。神さまグッズとしては、御朱印をいただきたい人は御朱印帳を持参する。せいぜいそれくらいです。
心を身軽にするには、やるべきことをすませること。仕事のあれこれ、家事のあれこれ、コミュニティのあれこれを、きちんと片付けてから出かけましょう。
僕自身、遊ぶことや楽しむことが大好きですが、やるべきことをやらずに出かけたとき、本気で楽しむことができません。仕事の電話がかかってくることもありますし、たとえ何もなくても自分が気になってしまう。旅の途中の美しい景色を眺めながら、東京の仕事について考えていたら、心がほどけるような体験はできません。
「神さまに会うというのは、まじめな良いことだ。家のなかのあれこれより尊い」と、日常の雑務を放り出すのは、ちょっと違う気がします。
自分の責任を放り出し、自分の都合を優先することは、素直さではなくわがまま。わがままと素直さの区別をつけられないようでは、逆説的ではありますが、本気で楽しむ素直な心をなくしてしまうのではないでしょうか。
私は、「神社に行くときは、玄関を一歩出たら、そこはもう参道です」と皆さんに伝えています。近所の神社でも、遠くの神さまに会いに行く旅も同じです。どう行くかで、こもる気持ちも向き合う態度も変わります。僕はその意味で、旅の準備をとても大切にしています。
仕事を片付け、やるべきことは全部すませ、できれば家をきれいにそうじしてから出かける。これらの準備もまた、“自分の気持ちを高める儀式”のうち。
儀式によって、旅の途中で起こるあらゆることに敏感になれますし、すべてを前向きに受け止められるようになります。
次回は、旅の醍醐味である食と温泉を楽しみながら、土地に根ざす神さまを感じる術をご紹介します。
◆今回の気付き
スッキリしてから旅に出る