通算参拝数1万回の「日本の神さまと上手に暮らす法」の著者・尾道自由大学校長・中村真氏が「神さまのいるライフスタイル」を提案します! 日本の神さまを意識することで、心が整い、毎日が充実する。そして、神社巡りは本来のあなたに出会える素晴らしい旅だと伝えてくれます。
日本の神さまをあなたの生活に取り入れて、おだやかに輝く暮らしを手に入れてはみませんか。今回は、神社の歴史に触れたり、自然と解け合ったりと神社に行く醍醐味をお伝えしていきます!

神社は歴史と信仰を学ぶ「メディア」

 「この神社は何をお祀りしているのかな?」
行きつけの神社ができたら、その歴史を調べてみるといいでしょう

 僕は若い頃、なかば放浪のように海外を旅しており、その後、アメリカ、イギリス、オーストラリアのミュージシャンをする音楽イベントにかかわるようになりました。
その際に痛感したのは、「英語力の必要性」ではなく「地元を語る言葉の必要性」でした
 自分の地元。育った土地や国の歴史。心の拠りどころとなる信仰。僕が出会った外国の人たちはみな、それらを語る言葉をたくさんもっていました。

なぜなら、その人のものの考え方、哲学、価値観は歴史と信仰に多大な影響を受けているので、「自分を語る深い話をしよう」となると、自然と出てくるのです。
 いっぽう僕はといえば、「地元? 普通に東京。日本の歴史? 興味ない。信仰? 関係ない」というありさま。
自分探しをしたくて海の向こうまで出かけたのに、「自分を語る言葉は地元にあった!」と気がついたところがあります。そして神社とは、特定の宗教をもたない人間が歴史と信仰について学ぶきっかけであることにも気がつきました。
 寺院は仏教の、教会はキリスト教の、神社は神道の宗教施設。
神道は古代日本にもともとあった自然崇拝をもとに、諸外国の宗教や思想に影響を受けて成立したもの。その起源は日本最古の記録『古事記』ともつながっています。自然崇拝なら宗教や文化を超えて人の心に馴染むものですし、どんな人にとっても歴史の一部です。

 神社をきっかけに、「この土地を守ってくれると昔の人が信じてきたシンボルはなんだろう?」と興味をもてば、地元の歴史と信仰がするすると出てきます。

行きつけの神社のほかに〈産土〉や〈氏神〉について調べてみてもいいでしょう。
〈産土〉とは、生まれた土地の守り神。あなたがたとえ外国に引っ越しても、ずっと守ってくれる神さま
です。
〈氏神〉とは、その土地に住む人たちが共同体として祀った神さまで、その土地の豪族が神格化されたものでもあります。

 僕は神田の出身なので神田明神が産土であり、神田明神の氏子です。必ず何月何日に行くというわけではありませんが、神主さんも存じ上げているので、近くに行く用事があれば必ず立ち寄りますし、二年に一回はお祭りのときにフンドシを締めて神輿をかつぎます。氏神を中心に人が集まれば、地元への愛情もわいてきます
 神田明神の歴史は古く、七三〇年に出雲から移住してきた人々が、自分たちの祖先であり、出雲大社の神さまを祀ったのが始まりといわれています。「神田明神は平将門を祀った神社だ」と思う人もいるかもしれませんが、それはずいぶんあとの話。

 将門は九三五年に京都で戦に破れて没し、その首塚が神田明神の近くにできました。ところが一三〇〇年代になって疫病が大流行。これがなぜか「将門のたたりだ!」ということになり、神田明神に祀られたという経緯です。
大国主命は国護りの神さまで、将門は戦の神さま。「異質なものを一緒に祀る大らかさが日本という国の特徴なのかな?」と考えることもできます
 歴史を学ぶといっても、最初はこの程度で充分でしょう。図書館に行くのもよし、スマホで検索もよし。そこから「日本人の国民性」や「地元の特徴」「自分のありよう」に思いを巡らせるプロセスのほうを僕は大切にしています

〈産土〉にしても、〈氏神〉にしても、歴史と信仰を学び、思いを馳せるためのスイッチのような気がします。スイッチゆえに、有効に活用したほうがいい。しかし、「絶対に、自分の産土を知らなくてはいけない」とか「どこかの氏子になって、そこを行きつけの神社にしなければ!」という話でもないのかな、と思います。
 今はどこで生まれたかといっても、「母親が里帰り出産したから、出生地といっても自分はあまり縁がない土地だ」という人もたくさんいます。また、「通勤途中にある神社は素通りするが、電車で何時間もかけて氏神に通う」というのは、なんとも不自然です。

形式にとらわれるより、自分の毎日の行動パターンに合う、行きやすいロケーションの神社に行けばそれでいいのではないでしょうか

まずはあまり考えずに、「いつも通る神社に桜が咲いているな」「あっ、お祭りだ」というタイミングで足を運び、ついでにその神社の歴史を調べてみる。こんな感覚でやってみましょう。

◆今回の気付き
きっかけとして、氏神さまについて調べてみる

神社で「自然という神さま」に出会う

 二〇代前半の音楽が大好きだった頃。僕には、来日すれば必ずコンサートに足を運ぶ、お気に入りのバンドがいくつかありました。
 その一つであるオーストラリアのバンドは今でいうオルタナティブ。演奏しつつ前衛的な舞踊が入るなど、演出も巧みでした。コンサートではしい照明のもと、ステージ上に霧がたちこめたりして、「うわっ、すげえなぁ。神秘的だな!」と、夢中になりました。
 それから二〇年ちかくたち、そのバンドが来日したので再びコンサートに行きました。やはり見事な演出で、ステージにたちこめる霧のなかでの、ミステリアスな演奏。
 しかし、僕はもう感動しませんでした。「ああ、特殊効果をやっているんだな」と、どこかめた目で眺めていました。

 理由は、その後の僕が音楽イベントの仕事で経験を重ねたからでもなく、年を食って感性が鈍くなったからでもありません。

「本当に神秘的なもの」を知ってしまったからです

 たとえば、山の上のとある神社。
 けもの道みたいな参道を登り、ようやくたどり着いた祠で見た雨上がり。そこには自然という神さまがいるのか、この世のものと思えない幻想的な光景がひろがっていました。
 あるいは早朝、たちこめる霧の中に浮かび上がった小さな神社。そこで感じた、なんともすがすがしい魅力。自然という神さまに心動かされた神秘の瞬間でした。
 僕はまた、神社参りのなかでも〈登拝〉という登山を兼ねたお参りが好きで、神さまに会いに行くためにしばしば山を訪れています。
山で出会うのは、自然が織りなす雄大な神秘。山の険しさ、人間の小さな力では絶対にかなわない自然の大きさを体で感じ、ようやく山頂の神社にたどり着くと、おのずと「本当に神秘的なもの」に思いを馳せることになります

自然という神さまに出会うために、“行きつけの神社”のほかに、“お気に入りの神社”をもつことを、僕はおすすめしています。日本の神社には、大きく分けて人が祀られている神社と、自然が祀られている神社とがあり、僕の好みは後者です。

 日本人はもともと、たった一人の神さまを信じるのではなく、の神を信じてきました。太陽、海、山、一粒のお米やトイレにも神さまがいるという自然崇拝の考え方。それを色濃く残しているのが自然を神さまとして祀った神社なのです。

「特定の宗教は信じないけれど、神さまとか、不思議なことってあるかもしれない」という大多数の日本人にとって、フィットしやすいのは自然のなかにいる神さまだと思いますし、僕もその一人です。

 古来その土地を護ってきた神さまや自然そのものを祀った神社は日本全国にみられますし、そうした神社はたいてい山や海にあります。
あなたも自然の中にある“お気に入りの神社”を見つけてはどうでしょう
 あちこち行くのも楽しいと思いますが、同じ神社に一年を通して何回も足を運ぶと、いろいろな発見があります。雪の季節、桜の季節、青葉の季節、紅葉の季節。同じ神社が全然違う顔になり、その変化自体、神さまが見せてくれている神秘です。

 また、朝のお参りをしてみましょう。行きつけの神社でかまわないので、早朝、ひとりで行ってみる。できれば日の出とともに行くと最高です。
 ほとんどの神社は、早朝がすてきです。たとえば、縁結びで有名な出雲の八重垣神社は、女性のグループで一年中大にぎわいです。奥の院にある鏡池に半紙を浮かべ、お賽銭を載せるのですが、「早く沈めば願いが叶う。恋がみのる」といわれ、一〇円玉や五〇〇円玉を握りしめた人たちの観光名所になっています。「大いなる神秘と出会う場所」というよりディズニーランドのような雰囲気で、これはこれで神社との新しいつきあいかたでしょう。

 しかし、いつもにぎやかな八重垣神社でさえ、早朝は静まり返っています。鏡池は縁結びのアトラクションではなく、「御神体を宿す池」という本来の姿に戻り、空を映し出す神秘のまいを見せてくれます。それもまた神社とのつきあいかたです。名もない神社であっても、早朝はおすすめです。雨の神社もまた、味わいがあります。
神社を通して自然という神さまに出会うと、自分の小ささ、すべてのかけがえのなさ、命あるものの美しさに目を向けられるようになります

 次回は、神棚や盛り塩など昔から家に存在してきた習慣についてご紹介していきます。

◆今回の気付き
日の出に合わせて神社に行ってみる