通算参拝数1万回の「日本の神さまと上手に暮らす法」の著者・尾道自由大学校長・中村真氏が「神さまのいるライフスタイル」を提案します! 日本の神さまを意識することで、心が整い、毎日が充実する。そして、神社巡りは本来のあなたに出会える素晴らしい旅だと伝えてくれます。
前回に続き、神社への参拝マナーを考えていきます。「願い事が多いときお賽銭を弾む」「ご縁があるように5円を入れる」そんな覚えはありませんか? 改めて神社との付き合い方を考えてみましょう。
名乗り、「自分」を確かめる
「東京都港区から来た中村真です」
神田明神でも出雲大社でも、小さなお稲荷さんでも、神社にお参りする際に、僕はまず、名乗ることにしています。正確には二礼四拍をしたあと、「はらえたまえ、きよめたまえ」という言葉を唱えます。これは〈祓詞〉というお祓いの祝詞。その後に名乗ります。
「自分がどこから来た誰なのか」を神さまに伝えたうえで、感謝をしたり誓いを立てたりするということです。
なぜなら、神社に行くとは、いくら“行きつけ”であっても非日常の世界に飛び込むということ。そして僕の日常は、たくさんのノイズに囲まれ、人並みにあれやこれやの雑念がたくさんあります。
せっかく神社という非日常の世界に来たのなら、雑念にとらわれたままでお参りはしたくない。一瞬でいいからいつもの毎日から距離を置いて、改めて自分の立ち位置や、自分という人間について見つめたい。その確認の方法が、名乗ることです。
たかが名前と住まいですが、声を出して言う機会はなかなかありません。何かの会で初対面の人に会ったり、仕事で名刺交換をしたりするときは名乗りますが、「A社の○○」「○○ちゃんママ」が自分そのものかと言われたら、やはり少し違うのではないでしょうか。
相手は神さまという“見えないもの”ですが、見えないところがいい。僕たちは誰かと会うと、目の前の相手がどんなタイプか、目から入る情報をもとにデータ分析を始めてしまいます。どんな服か、どんな顔か、仲良くなれそうか、自分と似たタイプか、虫が好かないタイプか。そんなことをやっていたら、自分のあり方について思いを馳せる余裕はないものです。
自然崇拝の神社に行って名乗ると、ことさら自分を確認できる気がします。
たとえば、一日二本しかないバスを乗り継ぎ、何時間もかけて登山したところにある山奥の神社に行く。「港区から来ました中村真です」と名乗ると、「なんでここまで来たのかな? わざわざ時間をやりくりして来たのは、ここの神さまに挨拶したかったし、この巨木の圧倒される大きさを感じたかったんだな」と自分でよくわかります。
僕は人がいてもいなくてもできるだけ声を出して名乗ります。声を出すほうが、自分の気持ちが高まるような気がするので、一種の自己暗示でしょう。いささか恥ずかしいという人は、ひと気のないときに試す、小声で名乗るというのでもかまわないと思います。
◆今回の気付き
神さまに「自分が誰なのか」を伝える
お賽銭はいらない
これまで紹介してきましたお参りのプロセスをまとめると、以下のようになります。
(2)手水で手を清める
(3)正中を避けて参道を進む
(4)拝殿に向かってお辞儀をし、鈴を鳴らす
(5)二礼。二拍か四拍か九拍(柏手は好みの数で)
(6)祓詞を知っていれば唱え、名乗る
(7)感謝を捧げる、もしくは誓う
(8)一礼。そのあとお辞儀をし、神さまにお尻を向けないように参道に戻る
この説明に対して「何か抜けている」と感じる人もいるでしょう。そう、お賽銭です。(3)と(4)のあいだにお賽銭というのが通常のマナーとされています。
「お賽銭は多ければ多いほどご利益がある」
「ご縁があるように五円玉が良い」
お賽銭については、諸説あります。初詣の際、たくさんの人の頭の上を飛び越えてコインを投げ入れる、何ともアクロバティックな光景をテレビなどで目にしたことがあるでしょう。
僕はどうかといえば、お賽銭は省略しています。
夢のないことを言うようですが、お賽銭とは近代にできあがった集金システムのひとつ。否定はしませんが、どうせなら別のお金の出し方をしたいので、正式参拝かご祈祷をお願いするようにしているのです。
正式参拝とは、拝殿の中に入れていただいて、お参りをすること。その際は時間に余裕をもって神社に行きましょう。巫女さんや神主さんがいる〈社務所〉を訪ね、「ご祈祷したい」とお願いすれば、問題なく受けてもらえます。観光地の有名神社やお正月などはこの限りではなく、予約が必要な場合もありますが、普通の神社であれば大丈夫です。
拝殿の中に入れていただき、神主さんにご祈祷してもらいます。
ご祈祷のあとは、神主さんとお話ができます。神社の由来や歴史、お祀りしている神さまについて教えてもらうこともできます。お神酒などをすすめられたら、神さまからのいただきものなので頂戴します。お酒が苦手な人は口を付けるくらいでいいでしょう。
ちなみに拝殿に上がるにあたって靴を脱ぐときは、脱いだままにしておくこと。
「くるりとひっくり返すように、靴のつま先を出口に向けて揃える」というのが人の家を訪問するときのマナーですが、神さまの家ではお尻を決して神さまに向けないように、後ろ向きに靴を履いて失礼するのがマナーです。神主さんたちはみなさん、このようにしているのでそれにならいましょう。
ご祈祷のお礼は〈玉串料〉として五〇〇〇円から一万円ほど納めることになりますが、しっかりと神さまにお会いした気持ちになれます。大きな神社だと、ご祈祷の料金が明示されているところもあります。のし袋などに入れる人もいますが、僕の経験では、裸のままでも大丈夫なところが多いようです。神社の維持費として考えても、ちょこちょこコインをお賽銭にするより、年に一度か二度、まとまったお金を払ったほうが役に立つのではないでしょうか。
自宅の“神さまの居場所”にお供えするお札も、ご祈祷の際にいただけるもの。大切に持ち帰ることにしましょう。
「わざわざご祈祷をお願いしなくても〈お守り〉を巫女さんが売っている」と思うかもしれませんが、お守りとはお札の簡易版。“携帯できるお札”と僕は解釈しています。
巫女さんが窓口で扱っているものとして、〈おみくじ〉もありますが、これは神さまのご神託の簡易版。もともとご神託とは、「ご祈祷のあとで神主さんから神さまの言葉をいただく」というものでした。
昔の権力者は、政(まつりごと)の相談などもしていたようです。〈おみくじ〉は、庶民も手軽に神さまの言葉をいただけるようにということで、明治時代以降に生まれました。
つまり、正式参拝をすれば、おみくじ、お守り、お賽銭といった近代に生まれた簡易版でない正式バージョンで、神さまと対面できるということです。
忙しい日常を送っている僕たちが常に正式参拝をするというのは難しいので、「お札をいただくために年に一回だけ正式参拝する。普段は通常のお参り」というのでもいいでしょう。
だからこそ、ふらりと神社に立ち寄るときは、おみくじやお守りはいただかなくてもいいと言えますし、お賽銭も必ずしも必要はないと僕は考えています。
次回は既に神社が好きな方に向けて発信していきたいと思います。あなたは御朱印帳やお礼参りについてどう思いますか? どんな意味があるのか、一緒に考えてみましょう。
◆今回の気付き
お賽銭もいいが、正式参拝をする