なぜ、リア充アピールにウザさを感じるのか

 いつから、ソーシャルメディアはリア充たちの巣窟になってしまったのだろうか。インターネットとは本来、リアルが充実していなくても楽しめるものだったはずである。

 特に酷いのはFacebookだ。タイムラインを見ると、やれ海水浴だ、やれバーベキューだといった写真で溢れている。4割強もいる「巣ごもりタイプ」には肩身が狭い限りだ。

 …といった感想を持っている人も多いと思う。無理もない。筆者も、休日に仕事をしている時などは、Facebookのリア充投稿を見るたび、自分の惨めさに胸を痛めている。

 愛する家族の笑顔や、大切な誰かのために作った料理の写真。「持たざる者」にとっては、それらすべてが光り輝いて見えるだろう。そして、「いいね!」という名の同調圧力に押しつぶされそうになる。素直に「いいね!」が押せない自分のひねくれた感情に傷つき、自己嫌悪に陥っていくのである。Facebookに「どうでもいいね!」ボタンがあったら、どれだけの人が救われたことか。

「そんな投稿は無視すればいい」と思うかもしれない。しかし、そうもいかないのだ。リア充たちは、リア充アピールがネットで疎まれることをよく知っている。それでも自己顕示欲が捨てきれないのか、思わせぶりな「不発弾」を次々と投下してくるのである。

「花火大会、めっちゃキレイだった(ゝω・)vキャピ 来年も一緒に見に行きたいな」

 文面からは、「来年も一緒に見に行きたい誰か」と一緒に花火大会を見に行ったということが推察される。しかし、なぜ素直に「彼氏と」と書かないのか。これなら、包み隠さずにリア充をアピールされたほうがましである。非リア充としては、こうした投稿にイライラするのだ。心の中の「どうでもいいね!」ボタンを押して、そっとパソコンを閉じるしか術がない。

 お盆の長期休暇明けにも試練が待ち構えている。「お土産」である。楽しい思い出と共に職場や学校に持ち寄られるお土産は、非リア充にとってはプレッシャーにもなり得る。どうしても耐えられない場合は、大きめのターミナル駅やデパートに行けば各地のお土産が手に入ることもあるので、オススメしたい。むなしい気持ちになるだけだとは思うが。