出迎えは時代錯誤の皇帝スタイルで
「空回り感」が否めない演出の数々

 2つには、虚飾と見栄で固めた過剰な演出はいかにも時代錯誤で、その割には誰のための式典で、何のためのパレードであったのか、その意図する狙いが不透明というよりも、逆に透けて見え過ぎていたことである。全員が背広姿の中、ただ1人、中国の正装である中山服姿で身を固めた習主席と彭麗媛夫人は、故宮の大和殿の中庭に立ち、各国の来賓たちを迎えた。

 来賓たちは一組ずつ赤じゅうたんを踏みしめて、習主席夫妻の前へ進み出て、挨拶する。この儀式は、中国の伝統的な皇帝スタイルで、今では時代劇の中でしか見ることができないが、習主席は終始一貫、この皇帝スタイルで押し通した。これは、宗主国と周辺の属国が主従関係にあった、清朝の頃までの冊封体制の名残で、皇帝に敬意を表して、ご機嫌をうかがうための年中行事であった。その再現を髣髴とさせる立ち居振る舞いには、違和感を禁じ得ない。

 3つには、習主席の演説が象徴しているように、中国の言行不一致が目に余り、改めて中国の二枚舌への不信感を募らせたことである。習主席は、演説で「永遠に覇を唱えず、拡張も図らず、自らが経験した悲惨な境遇に他の民族を押しやることなく、世界各国の人々と友好を保つ」と言明したが、国内外における中国の平素からの言動と立ち居振る舞いに照らしてみる限り、にわかに信じ難い文言で、これを宴の譫言(うわごと)で終わらせないよう、世界の耳と目で厳しく監視していく必要がある。

 中国が今置かれている厳しい内外情勢の中で、あえて挙行したこの度の式典とパレードを俯瞰したとき、習指導部のこの宴に賭けた思いや意図は、どうやら空回りしている感が否めない。中国の無辜の一般大衆の五感には、分不相応の、途方もないミスマッチの大きさにむなしさを禁じ得ず、やるせない思いに苛まれているに違いない。

 そんな中にあって、習主席と朴大統領の「蜜月」の演出効果は、ひときわ印象的であった。式典前日の中韓首脳会談では同時通訳を入れての2時間に及ぶ意見交換で、会談後には習主席が朴大統領のために昼食会を開いた。式典当日の各国代表団を招待した昼食レセプションでは、朴大統領だけに専用の待機室まで用意した。習主席にとっては、朴大統領が西側世界から参加した唯一の首脳であったため、文字通りの貴賓で、ロシアのプーチン大統領を凌駕する接遇であった。朴大統領の背後に、日米をはじめ、西側世界の関係各国に対する習主席の配慮があったに違いないが、この舞台裏には公私にわたる習・朴両者の10年越しの交流があったことも、無視できない。

 2005年7月のことである。浙江省党委員会書記の習氏が訪韓した際、朴氏の父・朴正熙元大統領が1970年に始めた、経済成長を支える農村近代化のための「セマウル運動」を学びたいと考えており、そこで出会ったのが当時の最大野党であるハンナラ党首の朴氏であった。