そのような関係はなにもクリエイターにだけ求められるものではない。どのような職業の男であっても、自分の仕事のステージを上げ、自分を常にアップグレードしたければ、女性に対しても安らぎや癒やしではなく、インスパイアを求めるべきだ。

 しかしながら、いまの日本の若い男子、結婚適齢期の男性は、楽な恋愛、楽な結婚を求めすぎているのではないだろうか。もちろん、恋愛も結婚も個人の自由なので、そこに何を求めようと勝手だが、楽な恋愛、楽な結婚ばかりを求めるのは、自分をダウングレードさせることになるし、第一、女性に対して失礼だ。

 ちなみに、日本では昔から、結婚するなら「三低」の女性がいいとされてきた。男性よりも「低学歴」「低身長」「低収入」の女性という意味だ。この志向性はいまでも顕在のようだ。

 たとえば、某大企業に勤める20代総合職女性は、「社内でモテるのは一般職の女の子ばかり。総合職女子はまったくモテない」と嘆く。また、別の知人女性は、慶應大学院を卒業して国際的な大企業で働く長身の美女だが、「同世代の男性からはまったくモテない。デートに誘ってくるのは30代後半より年上の既婚男性ばかり。そろそろ結婚したいのにこれでは結婚できない」と嘆いている。

 ハイスペック女子は、いまの日本社会ではモテないというわけだ。そのせいか最近では、早稲田や慶應など高偏差値大学を卒業した女性が、大企業の一般職に就職することも。そのほうが結婚では有利だからという判断だ。もちろん一般職がダメだと言うつもりはない。しかし、結婚に有利だからというだけの理由で一般職を選ぶのは、仕事をなめてかかっていることになる。それは自分をダウングレードさせるだけである。

 このようなダウングレード女子と結婚しても、男が上がるワケがないのだが、現実にはダウングレード女子ばかりがモテている。そして、仕事にも恋にも自分を上げようと頑張っているハイスペック女子はモテない。「男たちよ、それでいいのか?」と僕は思う。少なくとも僕ら世代の男は、無理めの女、高めの女を口説き落とすために、男としての自分を上げよう、磨こうと頑張ってきた。その頑張りが、仕事のうえでの成長にもつながってきたと思っている。

 ジョージ・クルーニーは結婚後、映画のプロモーションで来日したときの記者会見でこのような発言をしている。「結婚して未来が変わった」と。運命の女性とはそのようなものだと思う。男たちは、自分の未来を変え、ひいては世界を変える、そんなパワーを与えてくれる女性をこそ求めるべきなのである。

 難攻不落のモテ男、福山雅治もきっとそうだったのではないだろうか。