大統領の指針ともなる最高情報機関・米国国家会議(NIC)。CIA、国防総省、国土安全保障省――米国16の情報機関のデータを統括するNICトップ分析官が辞任後、初めて著した全米話題作『シフト 2035年、米国最高情報機関が予測する驚愕の未来』が11月19日に発売された。在任中には明かせなかった政治・経済・軍事・テクノロジーなど多岐に渡る分析のなかから本連載では、そのエッセンスを紹介する。
第2回のテーマは「個人」のエンパワメントだ。世界中の誰もがしかるべき権利を与えられ、自分の能力を最大限に発揮できるようになることは「民主主義」の夢といえるはずだ。しかし、それが現実化しつつある21世紀への評価は実際に分かれている。
民主主義という「悪夢」?
個人のエンパワメント(自ら物事を決定し、その力を活用すること)は最高にすばらしいことだと、私は信じている。当然だろう。人種や国籍や性別と関係なく、誰もが自分の潜在能力をフルに発揮するチャンスを得るのだから。それは民主主義の夢ではなかったか。私たちの親や祖父母やもっと上の世代が、手に入れようと奮闘してきたものではなかったか。それを喜ぶべきでない理由などあるはずがない。
誰もが個人のエンパワメントを歓迎しているわけではないと、私が初めて知ったのは、『グローバル・トレンド』を執筆するために、世界各地を訪問していたときだ。
ケニアの会議出席者はこう語った。「個人のエンパワメントは大きな危険をはらんでいる。民族ごとの集まりが政治的に利用されて、紛争の種になるおそれもある。アンチ市場、アンチ社会保障、アンチ政府を唱える大衆迎合主義が高まっている」。さらにこの人物は最大の懸念を口にした。「ケニアが20〜30年後も統一国家でいられるという確信が私にはない」。個人のエンパワメントによって国の一体性が失われつつあるからだ。
ブラジルでは、閣僚経験のある政治家が、個人のエンパワメントをあざ笑った。「アイデンティティ政治(社会的に不公平に扱われている集団が承認を得るために行う政治運動)は分裂をもたらすだけで、価値観の収斂にはつながらない。アイデンティティ政治は、他人との共通点ではなく、違いを強調するからだ」。さらに彼は言った。「私に言わせれば、この世界はホッブズ的であって、カント的ではない」
トマス・ホッブズは17世紀のイギリスの哲学者で、国家のあり方を論じた政治哲学書『リバイアサン』で、対立や内戦を防ぐには強力な中央政府が必要だと主張した。他方、イマヌエル・カントはホッブズの100年後に活躍したドイツの哲学者で、人間は外的権威から解放されて自律的に考えなくてはいけないと唱えた。
カントはフランス革命とアメリカ独立戦争、そしてイギリスに対して自治拡大を求めるアイルランドの闘争を熱狂的に支持した。ただしカントは、非常に規則正しい生活を送ったことで知られ、フランス革命の火蓋を切ったパリのバスティーユ監獄襲撃の知らせを聞いたときも、日課の散歩を短く切り上げただけだったとされる。カントは著書『永遠平和のために』で、国家が法に基づき統治されているかぎり、戦争に疲弊したヨーロッパにも平和を築くことができると主張した。