消費増税の是非を米国の経済学者に
聞くことは、世界の恥さらし
安倍首相は、官邸に米国のノーベル賞受賞学者であるスティグリッツ氏やクルーグマン氏などを招いて、「国際金融経済分析会合」を開催した。趣旨は、来年4月に予定されている消費増税を延期すべきかどうかについて、彼らのアドバイスを求めることだと報道されている。
しかし、一国の最も重要な経済政策である租税政策、消費増税の是非を米国経済学者のアドバイスを基に判断するということ自体、前代未聞の恥知らずなことではないだろうか。
税制というものは、国家の最も根源的な権限である。EUでは、通貨が単一で多くの規制も統一されている。しかし、税制だけは全く統一されていない。消費税率も上限と下限はあるものの、ばらばらである。
その理由は、税制は国家の主権そのものであり、大きな政府もあれば、小さな政府もあるというように、各国の経済社会状況に応じて、時々の政権が国民と対話しながら決めるもの、という認識からである。
さらに、アドバイスを求める相手が米国の経済学者というのも疑問だらけである。彼らは米国の政権に様々なアドバイスをしてきたわけだが、米国の経済社会はどうなっているのだろうか。
今回の大統領選挙に象徴されるように、米国ほどみじめに国民が分断・分裂している国はない。経済こそ順調であるが、1%のスーパーリッチ層が99%を支配するという基本構造は、今も変わっていない。その証拠が年々拡大する格差であり、ダントツに高い相対的貧困率だ。
そのことは、今回の大統領選挙に象徴されている。民主党も共和党も分裂状況にあると言ってよく、背景には人種問題だけでなく、グリーディー資本主義を体現する税制(ストックオプションやファンドからの利益に対する優遇税制)が所得・資産格差をもたらしているという現実がある。つまり、彼らは自国の税制をまともにするというアドバイスができていないわけで、そんな人たちにどうして日本の税制のアドバイスができるのだろうか。
米国には、安定した社会保障は存在しない。公的医療保険制度はなく、オバマケアも日本の制度から見れば、まやかしのようなものだ。「金の切れ目は命の切れ目」という社会で、消費税により社会保障を構築するという、欧州やわが国がとってきた政策すら導入されていない国である。そのような全く異なる社会状況の下で、どうして彼らのアドバイスが必要なのだろうか。彼らに日本経済・財政や社会保障を語る資格はないと思う。